ドイツ育ちの私でも母国語は日本語です(前編)

シェアする

ずっとドイツで生活していたのだからドイツ語の方が得意なんでしょう?

初対面の方によく言われる言葉なのですが、意外にも(?)母国語は日本語です。初めて覚えた言葉も、初めて書いた文字も、初めて覚えた歌や童話も、初めて勉強した言語も全て日本語です。現地の幼稚園だったので、ドイツ語はそこである程度は覚えたのでしょう。その当時は特に困ることもなく、アルファベットも普通に書くことができましたが、とはいえ5歳児の語彙力、語学力ですから、高が知れています。

もちろん、ドイツ語がよく分からない、家で喋っているものとは違う言葉であることは認識していました。自分とはどうも見た目や習慣や言葉が違う子供たちが沢山いることに衝撃を受けたくらいですから。でも、不思議なことにドイツ語を一生懸命覚えようとした記憶がないのです。唯一覚えていることは、ゴミ箱を意味するMülleimerという単語が分からなくて、幼稚園の先生に恐らく「Kannst du das bitte in den Mülleimer tun?」と言われたのでしょうけど、手にしていたもの(何だったか覚えていません)をどこに片付ければいいのか分からず、オロオロしたこと。その時、思いつくものをひとつずつ指差しながら確認して、まさかと思っていたゴミ箱でヒットしたのでびっくりしました。

要するにドイツに住んでいても日本語の方が身近だったのです。家にあった日本の童謡のレコードをかけたり、日本昔話を一生懸命読んだり、読めもしない新聞の平仮名と片仮名を拾い読みしたり(そして、3分置きに「ママ〜 これなんてよむのー?」と聞きに行ったり)、家族の名前を紙いっぱいに書いてみたり、どこにでもいる普通の日本の女の子だったと思います。

この記事で私が皆さんにお伝えしたいのは、現地語と母国語は必ずしもイコールではないということです。そして、バイリンガルにも色々なパターンがあり、母国語選びの基準も十人十色だということ。

自分のルーツを意識する

私が常々思うのは、自分のルーツは蔑ろにはできないということです。例えば私の場合、一生ドイツで生活することになったとしても、日本がルーツであることには変わりません。

例えば、両親のどちらかが日本人で、家庭内言語がドイツ語の方に時々見られるパターンなのですが、日本語ができなくても困ることはほとんどない生活をしていても、「自分はドイツ人であると同時に日本人でもあるのに、日本語が全然うまくない。もっと勉強すれば良かった。」と大人になってから嘆くのです。「日本語なんて面倒臭い言葉やらないでおいて本当に良かった!」と言っている人は今まで出会ったことがありません。(ですから、これから国際児をお持ちのお母様・お父様方、辛いことも多いとは思いますが、頑張ってください!)

それでは、両親共に日本人であった場合はどうでしょう。見た目は日本人で日本語力が不十分な場合(しかもジャッジが厳しいのです)、下手をするとコンプレックスにすらなってしまう可能性も決して低くないのです。折角生まれながらに多文化・多言語を体感できる環境に身を置いているにも関わらず、それがその人を苦しめるのですから、これはとても不幸なことだと個人的に思います。もちろん逆もありきではありますが・・・。

折角海外にいても日本語を学べる場所があるのだから日本人学校へ

私の母は、長い目で見て私にとってベストは何かと思い悩んだ結果、デュッセルドルフ日本人学校に入れることを決めます。現地校に入学させるメリットももちろんあります。というか、もう一度やり直せるなら、すごく大変なのは重々承知の上でも、初めからバイリンガルコースだったら良かったのになあと思う部分もあるくらいなのですが、例えば

1)自分のドイツ語がおぼつかないのに子供の勉強をみてやることができない
2)自分が学校行事や父母会に出て行っても理解できない
3)日本人なのに海外育ちだからやっぱり日本語が下手ねと言われてしまう恐れがある
4)自分や祖父母を始めとする家族と意思疎通が出来なくなったら困る
  (身内は日本にしかいないのに)
5)ドイツ語は後からでも学習できる、第二言語でも良い。
  日本語は漢字があり、小さい頃から訓練が必要。
6)もしも日本に帰国した時に十分な日本語力がないと困る

こういった点を考えた上での我が家なりの結論だったようです。先に断っておきますが、この問いには正解はないと思います。個人差もありますし、家庭環境もそれぞれ違いますから、あくまで綿谷家のケースとして受け取ってもらえれば幸いです。

アイデンティティー崩壊(?)Part1

かくして、日本人学校に入学しました。今度は見た目が似てる、同じ言葉を話す子がいっぱいいると思うとそれはそれは楽しみだったのです。しかし、期待と少し違ったのは・・・同じだと思っていたけど、全然違ったこと。当時(1993年)デュッセルドルフの日本人小学生というのは、大半が駐在員の子女たちなので、一時的に日本を離れているにすぎない子たちで構成されており、且つ日本企業の羽振もまだ良かったんですよね。日本人は皆が皆、メルセデスかアウディーに乗り、お父さんたちは毎週日曜日はゴルフに行き、お母さんたちは綺麗で、専業主婦で、趣味で絵やお花を習い、年に二回は海外旅行へ行き、一度は必ず里帰り帰国するものだと思い込んでいました。

うちは違うなぁ〜と私が感じていたのと同じように、周りの子もなんか違うなぁ〜と感じていたのでしょう。「綿谷さんってハーフらしいよ」と勘違いされたり、比較的最近まで思っていた人がいたくらいです(笑)そんなわけで、周りの子と比べれば、ドイツ語も分かるし、ドイツで生活することには慣れていたので、私はドイツ人により近いのだと思うようになりました。

 どんどん忘れるドイツ語

とはいえ、勉強を怠ればどんどん忘れてしまうのが言語の悲しいところ。日本の教育を受ければ受けるほどに日本語が定着していき、ドイツ語は反比例して忘れていってしまいます。しかも、その自覚が自分にほとんどありませんでした。すっかり順応していて、良い友達もいて、目立ったイジメや問題もなく、学校も学校行事も楽しくて仕方がなく、なにひとつ不満が無かったので疑問に思うことも何もありませんでした。ドイツ語を切実に必要とする生活を全くしていなかったのです。でも、心はドイツ人に近いと思い込んでいました。

それは大変な思い違いでした(笑)(後編に続く)