ドイツは私にとって大切な故郷ですが、ドイツ人であると思ったことはありません。確かに、ジェスチャーや、理不尽だと思うポイント、口論の仕方などは多少ドイツ人っぽいところもあります。でも、デュッセルドルフ日本人小学校を卒業し、ギムナジウム(現地校)に通い始めた頃から、やはり自分は日本人なのだと実感し、アイデンティティーが揺らぐことはなくなりました。
国際児たちの心の拠りどころはどこにあるのか。どこでどうやって芽生えるのか。そもそも彼らのアイデンティティーって・・・?という問いに対する私の答えです。
言葉は通じても、心は通じない。
ギムナジウムに転入したばかりの頃、授業中はチンプンカンプン、友達もいないので休み時間は手持ち無沙汰で、時間をやり過ごすのがまだ辛い時期でした。しかも、何の為かは知りませんが、二時限毎にある15分休みは校舎の外に出なくてはなりませんでした。
初めの数日間は、日本語を話せる人と一緒にいたくて、校内に何人かいた日本人グループにくっついていたのですがが、私の期待とは裏腹に心が休まるどころか、15分休みの憂鬱度は倍増してしまいます。
行けば仲良くしてもらえるなんて甘いと思い知らされたことがショックでした。しかし、同時に憤りも感じていていました。今になって振り返ってみると、この時の感情がひとつのターニングポイントだったようです。
歓迎もされないが、拒絶もない。
というわけで、早くクラスメイトと仲良くならなければ!と焦り始めた私は、休み時間も彼らと過ごすようにしました。とは言っても、お弁当のサンドイッチを黙ってひたすら食べているだけで、たまに振られる質問にもうまく答えられなければ、楽しい話題を提供できるわけでもない、幽霊みたいな存在だったと思います。
うんともすんとも言わない人間を気遣ってくれる人はいません。学校の授業も同じで、こちらから求めなければ、何も返ってこないのがドイツ社会の厳しいところです。ただ、拒絶せずに受け入れてくれる懐の深さが特徴でもあると思います。彼らも同じでした。何も言わずに、ただ隣に立っているだけの私のことを輪の中に入れてくれたのです。楽しくはありませんでしたが、居場所はできました。
おにぎり、大活躍。
学校にも少し慣れてきたある日のこと。目立ちたくないからという理由で、いつもサンドイッチをお弁当に持って行っていたのですが、その日は、母が「Mちゃんのお母さんも言ってたけど、一度食べさせたら、みんな、おにぎりの大ファンになるらしいよ。エリナも誰かに食べさせてみなよ。」と言って、薄焼き卵に包まれた塩おにぎりを沢山持たせたのです。
味は想像できるけど、私も食べたことないのに、誰が欲しいって言うんだろう・・・しかも説明できないし。重いし。(^^;)そう思うと持っていくのが嫌で仕方なかったのですが、母に「Reisbällchen mit Ei」と言えば大丈夫!と押し切られ、渋々持って行く羽目に。
そして、休み時間。クラスメイトのお喋りを横目に、タッパーの蓋をそぉーっと開けて、こっそり食べてしまおうと思っていたのですが・・・好奇心旺盛な子が一人はいるもので・・・
「Was ist das? (それなに?)」
(わたし、質問されてる!まさかの!え、どうしよ!)
『Reisbällchen mit Ei(ライスボールと卵)』
(とりあえずママに教えてもらっておいてよかったw)
『…Möchtest du probieren?(食べてみる・・・?)』
「Darf ich?(良いの?)」
(え、本当に?!)
『Ja, klar. Bitte. (もちろん、どうぞ)』
「…Das schmeckt gut!! (美味しい!)」
と彼女が言った瞬間、
「Darf ich es auch probieren? (私も食べて良い?)」
その場にいた子のほとんどが、そのおにぎりの味を知りたくなり、結果的には全員がファンになってしまいました(笑)その後、自分の分を確保する為の作戦として様々な具材を試してみたのですが、塩昆布が入っていようが、ゆかりおにぎりだろうが、高菜おにぎりだろうが、美味しいお美味しいとペロリと平らげしまうくらい、ギムナジウムを卒業するまでおにぎりは大人気でした。
クラスの人気者になれたわけでもないし、明らかにおにぎり目当ての人もいましたが(笑)、それでも、おにぎりに救われたんです。日本のソウルフードが次のステージへと連れて行ってくれたのです。そして、「私って、日本人という枠なのね」と妙に楽になったのです。
私のなかの日本
冒頭で述べた通り、私は自分のことをドイツ人であると思ったことは一度もありません。日本人学校時代、ドイツ語が多少できたこともあり「みんなと同じ(日本人)ではない。ということは、ドイツ人なのかな?」と迷っていたことはあります。しかし、この頃から強烈に「日本」を意識し、帰属意識も芽生えていきました。
※ドイツ人により近いのかな?と思った経緯はこちらからご覧いただけます。
となれば、日本人として正しい日本語や教養を身に付けなければならないと思い、随分と熱心に勉強したものです。もう忘れてしまいましたが、百人一首や平家物語などの古典の一部を丸暗記したり、純文学をよく分からないのに読んでみたり、中学生にはやや難解な司馬遼太郎シリーズにかじりついたり、漢字の勉強もまじめに取り組みました。
学ぶことが純粋にとても楽しかったのもありますが、仕方ないとは分かっていても、学校の勉強に思うようについていけない自分に対する不満や、やるせなさを解消する唯一の方法でもありました。そうやって心のバランスを保っていたのです。私なりに精神的な居場所を作っていったのです。
一方で、日本で普通に生まれ育っていれば、こんな思いをしなくて済んだのに、もっと気楽な学校生活が送れたはずなのに、と卑屈になって「ジャパンコンプレックス」に何年も囚われていたことも事実です。
もっとも「私の中の日本」は、「現実の日本」とは違うものです。
「私の中の日本」は、日本で生まれ育ちドイツで子育てをしている母であり、彼女の作るご飯や発する言葉であり、日本で生活している祖母であり、デュッセルドルフ日本人小学校時代の友達や記憶であり、書物の中に描かれている情景です。それらが混ぜ合わさってできたバーチャルな世界であり、もっと言えば、心の拠りどころです。そして、それは、サザエさんの世界のように何年経っても変わることがありません。
これこそが、「Third Culture Kids: Growing Up Among Worlds」が言うところのサードカルチャーなのかもしれません。つい先日、友人のサムことSam Holdenにこの言葉を教えてもらいました。ありがとう!
※彼の研究プロジェクトはこちらからご覧いただけます。研究内容も興味深いのはもちろん、彼の英語はとてもスマートで美しいので大好きです。
Third Culture Kids(略:TCK)とは、自分のルーツ(主に両親)とは別の文化圏で生後〜18歳までの成長期の大部分を過ごしている子供のことを指します。なるほどと思ったのは、一度TCKになったら生涯TCKであるということ。大人になったら卒業するのではなく、彼らはAdult Third Culture Kids(略してATCK)と呼ばれます。
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現在、私は「私の中の日本」と「現実の日本」のギャップを埋める作業をしているようです。日本に来た理由のひとつだったのかもしれないな、と最近になって思い始めました。埋めることで現実と向き合い、何を変えていきたいのかが鮮明に見えてくることを期待しています。
私の願いのひとつは、国際児たちの見えない葛藤をもっと世の中に広めて、問題意識を共有すること。彼らの持つ個性をより活かせるように、その為に必要なケアがもっと行き届くように、何か私にできることはないのかなと考えています。この記事も一人の大人になった国際児サンプルとして誰かに届けばいいなぁと思いながら書いています。
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