30日ブログチャレンジも更新するのが楽しみになってきました。書くネタに関しては、直前まで迷ってはいるものの、ネタがないというより、どう調理しよう?と悩んでいるに過ぎず、タイムリミットがきてしまったら書き出さなくてはならないので、致し方ない。
さて、今日は私が好きなドイツ語の言葉をひとつ紹介しようと思います。格言というほど格調高いものではなく、諺というほど定型化しているわけではないものの、韻を踏んでいて覚えやすく、多くの人が知っているし、知らなくても「確かにね!」と納得する言葉。
Verträge macht man, solange man sich verträgt.
契約は、仲良くしているうちに交わすものだ。
面白いのが、「Vertrag(フェアトラーク)」は名詞で契約・契約書という意味なのだが、動詞の「vertragen(フェアトラーゲン)」は〜に耐えられる・我慢できる・(お酒などを)受け付ける・(暑さや寒さに)強いといった意味で、契約から随分と離れている。それが、「sich vertragen」と再帰代名詞が加わると誰かと仲良くするという意味になる。ドイツ語には、再帰代名詞による意味の飛躍がよく起こる。
使い方としては、例えば、Ich vertrage mich gut mit meinem neuen Mitbewohner. (私は、新しいシェアメイトとうまくやっている)といった具合だ。
したがって「Verträge macht man, solange man sich verträgt.」は「契約をするのは、仲良くしていられるうちだ」となる。
ドイツは本当に契約社会なのか?
本当にドイツは契約社会で何をするにも契約書が登場する。いざという時の財産の分け方を決める婚前契約も珍しくないし、ルームシェアをする際も、物件の家主と契約を交わしている”住人代表”と実質的に間借りをしていることになる”下宿人”の間でも、お互いの安心の為に交わす。寧ろ、契約書を出してこない場合は「うやむやにしたいのか?何か裏があるのか?」と怪しまれるくらい、日常的だったりする。口約束という文化が希薄なのだ。
契約文化の違いを感じた瞬間
どんな難解な契約書であっても、ざっくりとでもなんとか目を通す。当たり前に思われる方も多いだろうが、私が日本に来て一番驚いたのが、携帯電話(ガラケー)の契約した時に細かい字がびっしり印刷された、オプション契約も入っていたからか何枚にも渡る契約書が目の前に置かれ、そのまま流れるように「では、ここにサインをお願い致します」と促された時だった。え?
もちろん(長くて丁寧な)説明はあったが、それと契約内容が一致していなかったら、意味がない。その店員さんを信用していないというわけではない。ただ、何に対してサインをするのか確認をしたいだけなのだ。一通り目を通したいから時間をいただきたいと願い出たら、不思議な顔をされたのも印象的だった。
すると、これはよくわからないぞ、ということが二つ、三つ、四つ・・・出てくる。こういう疑問はその場で解決するに限る。とはいえ、その一年で一番面倒臭い客だったに違いないと思うと、申し訳ない気持ちもある。基本料金がかからないプランだった上に、電話をほとんどしない。以前ラジオでもお話したことがあるのだが、携帯電話の請求額が「6円」だったことがあるくらい、なのだ。送料の方が高い(笑)(今はスマホになり、もう少しだけ還元しているが、それでも月々2000~2600円を推移している程度。)
後出しジャンケンが許されない文化とも言える?
なぜ、そうなのか・・・ふと思うに、話が大きくなるがこれも民主主義が持つ一面なのかもしれない。違法な契約でない限りは、サインをしたら責任が生じる。後から「そんな話聞いていない!」というのは通用しないのだ。私はそれを後出しジャンケンと呼んでいるのだが、どんなに自分にとって不都合であっても、自分の手でサインしてしまったら、約束をしてしまったら、所定の処置を取って解約できる日を待つしかない。モヤモヤするが、仕方ない。
そんなわけで、仲良くできる=許せるうちに納得のいく契約をしましょうねというこの言葉は、私の中ではすごく大切な指針でもあるのだ。
http://erinawataya.com/2015/06/10/sharehouse/