デル・トロ監督新境地に挑む⁈−映画『ナイトメア・アリー 』感想・ネタバレ・考察

人が人でなくなる理由はいつだって人。
であるならば、人たらしめるものは何か。人間の条件とは?
この問いが観る者の思考を始終支配する。
「ああ、この人は堕ちていく・・・」
待ち受けている結末には絶望しかないのに
2時間30分、スクリーンから目が離せませんでした。

目次

作品について

『シェイプ・オブ・ウォーター』でアカデミー賞4冠に輝いたギレルモ・デル・トロ監督による一部で最高傑作とも評されるサスペンス・スリラー作品。第94回アカデミー賞においては作品賞、美術賞、衣装デザイン賞、撮影賞の4部門にノミネートされています。日本では2022年3月25日より全国公開予定。

原作は、ウィリアム・リンゼイ・グレシャムが1946年に発表した『ナイトメア・アリー 悪夢小路』という、作家の自叙的要素も入ったノワール小説。ショービジネスでの成功を夢みる青年が、その野心とカリスマ性を武器にトップショーマンに昇りつめ名声を手に入れるも、過去のトラウマから人を信じず、傲慢で何度も人を騙し裏切り、ついには運から見放されてしまう物語です。

オフィシャルサイト「ナイトメア・アリー

キャスト

スタントン・カーライル:ブラッドリー・クーパー
リリス・リッター博士:ケイト・ブランシェット
モリー・ケイヒル:ルーニー・マーラ
ジーナ・クランバイン:トニ・コレット
ピート・クランバイン:デヴィッド・ストラザーン
エズラ・グリンドル:リチャード・ジェンキンス
クレム・ホートリー:ウィレム・デフォー
ブルーノ:ロン・パールマン など

余談ですが、最近私が面白いと思った映画という映画にウィレム・デフォーが出演していて、本当に多彩な俳優だなぁと驚いています!(フレンチ・ディスパッチにも、スパイダーマン ノーウェイ・ホームにも出ていて、同一人物とは思えない・・・)

デル・トロ監督、新境地に挑む

この映画の特徴をひとつ挙げるとすれば、デル・トロ監督と言えば!な超自然的フィクションがないところ。ファンシーでおとぎ話のような要素はありますが、基本はハードボイルドな犯罪劇であり、また完璧なまでの因果応報の物語です。運命と人間性をテーマにした物語を撮りたいという気持ちがずっとあったそうで、プロダクションノートに書いてあるプロデューサーのJ・マイルズ・デイルの言葉には「本作の大きなテーマの一つは『人は自分を超えられない』ということだ」とあります。また、サプライジングな最後を用意するのではなく、初めから分かりきっている最後をどう説明するかを大事にした、とのこと。

映画化は2度目

1947年にエドマンド・グールディング監督によって『悪魔の往く町』として映画化されているので、デル・トロ監督による2度目の映画化ということになります。映画のリメイクというよりは、原作を現代的に再構築することに注力して、ストーリーは1940年代を中心に展開するものの(衣装やセットもレトロで素敵!)、撮影はデジタルで行われ、深度にこだわったそう。

ストーリー(ちょっぴりネタバレ)

時は1939年、アメリカ。過去とはすっぱりと決別し、人生を新しくスタートさせたい流れ者スタントン・カーライル(以下スタン)は巡回中のカーニバルの呼びこみに誘われ、そこで衝撃的なショーを目にする。”獣人(ギーク)ショー”である。当然獣なはずもなく人間であることは分かっているのだが、なぜ、人間とは思えぬことを人前で披露するのか・・・驚きを隠せない(後にその具体的なギークを産む方法を知り絶句する)スタンだが、仕事も住む場所もない中、カーニバルのマネージャー・クレムに仕事をもらい、一座の一員となる。

カーニバルでの仕事にも慣れてきたスタンは、かつては”幽霊ショー(Spook Show)”で一世を風靡したという読心術師の夫妻、ジーナとピートと親しくなる。そして、決して悪用してはならないとした上で基礎的な技を伝授してもらう。というのも、霊媒師を名乗り善良な人々を騙し続けることへの罪悪感からピートは酒に溺れるようになり、やっとの思いで日々を過ごしているのだ。同じ失敗をしてはならない、道を外してはならないと繰り返すジーナとピート。

しかし、上昇志向が強いスタンがそれを守れるはずがなかった。自分はピートと同じ轍は踏まない、自分は違うと確信してしまう事件が起こるのだ。ある日、人や動物の扱いに問題があるため即刻閉鎖を要求する警察が乗り込んで来る。さらに衣装が卑猥であるとして公然わいせつ罪でモリーを逮捕するというのだ。このモリーは、カーニバルの中では純真な穢れなき乙女、みんなのアイドル的な存在である。当然スタンも彼女に好意を抱いている。そして、ピートに教わった読心術で警察官の秘密を言い当て、モリーと一座を救うのだ。この経験が全能感を彼に与えてしまう。折りしもピートが死んでしまった日のことだった。

自分を救ってくれたスタンに感激し、彼に自分の人生を捧げる決心をしたモリー。二人はサーカスを離れ、2年後には一流ホテルのステージで上流階級の人々を相手に読心術を披露するショーチームになっていた。観客の持ち物を、モリーが送る言葉の合図をヒントにスタンがずばり当てるという、師匠の教え通りのスタイルである。大成功を収め、ホテルのスイートルームで生活する二人。まさにアメリカン・ドリームを実現したわけだが、更なる野心に燃えるスタンとは対照的に戸惑うモリー。もやもやしながらステージに立つと・・・二人のトリックを早々に見抜いた女性にバッグの中身を当てるように迫られる。

ここで失敗したらこれまでに築き上げた信用が崩れてしまう・・・!絶体絶命のピンチかと思いきや、スタンは持ち前の観察眼で乗り越えてしまう。これが、彼が自分の才能に酔いしれ、破滅へ向かわせる出来事なのである。この事件をきっかけに、トリックを見抜いた女性、心理学博士リリス・リッターとビジネスパートナーとも取れる関係を持つ。(イカサマ)霊媒師ビジネスは上流階級の間で評判となり、ついには、権力者エズラ・グリンドルの目にも留まる・・・

ここから、スタンの転落まで二転三転、ちょっと予想外なことも起こるし、そこが一番興味深いので話の筋を追うのでこれくらいにしておきます。

考察・ネタバレ

一人のオム・ファタールを巡る三人の強い女たちの物語でもある

リリス・リッター博士がスタンを破滅に向かわせたファム・ファタールであることは間違いないが、その逆も然り・・・というか、スタン自身が三人の女性の人生を狂わせたオム・ファタール(?)であるということ。しかしながら、一人の男に振り回されて終わるのではなく、強く、正しく生き延びていく、そんな描かれ方をしているのも印象的でした。

ジーナ

まず、最初に親しくなる読心術師のジーナ。冒頭で彼女が新参者のスタンの若さ・たくましい肉体に惹かれるシーンがあります。二人が恋愛関係にあったかどうかはっきりとは描かれていませんが、ロマンスがあっても不思議ではない。夫のピートも自分自身が酒に溺れ、ジーナなしには生きていけないことに負い目を感じている部分もあるので、そうしたことがあっても黙認していたのでは?ただし、ジーナ&ピート夫妻は、酸いも甘いも共に経験し、深く愛し合っている夫婦であることも間違いない。だからこそ、二人でスタンに自分達が編み出してきた安全な技だけを教え、決して悪用してはならないと繰り返す、まるで両親のような存在でもある。

ジーナはピートを失う。それがスタンのせいとは言い切れないが、もやもやとする描写がある。ピートは自分が編み出してきた読心術の全てを記した一冊のノートを肌身離さず持っており、そこには悪用したら大変なことになる秘密も書かれているという。スタンはその中身を知りたくて仕方がない。ある晩、二人が会話をしている間に寝落ちしたピートからノートを拝借して中身をみようとするのだが、失敗する。ピートは激しく注意をした後、お酒を持ってきてほしいとスタンに頼む。そして、翌日、そのお酒を飲んだピートは帰らぬ人となる。そのお酒はマネージャーのクレムが管理しているもので、ショーで使う飲めないもの(メタノール)と、飲むためのものと2種類があり、スタンがそれを分かった上で意図的にメタノールを渡したのか、事故だったのか、ノートに書かれた秘密の為に無意識的にやってしまったのか・・・?観客の判断に委ねられいる部分なのでしょう。

スタンはピートのことをおそらく慕っていたし、死んでほしいとはまでは思っていなかったと思います。また、モリーという若くて可愛いターゲットがいたので、ジーナを自分のものにしたかったわけではないはず・・・だから、意図的に猛毒を渡したわけではないだろう・・・と信じたいのですが、翌日、サーカスを離れる時にジーナの元へ行き、ピートのノートを見せて、これは返すべき?と尋ねるのです。そんな首尾よくノート手に入れてるの?!とちょっと驚いたし、ジーナは諦めの表情を浮かべながら、送り出します。

後日再会した際にタロットで逆位置の愚者(※)が出たので、彼を止めようとするのですが、彼女にはその力はありませんでした。(※自分の無計画で無責任な行動が周りの人たちに悪影響を与え、自分自身も貶めることになるという暗示。) 

モリー

自分を絶体絶命のチャンスから救ってくれたヒーローですから、吊り橋効果で恋に落ちてしまうのは自然な成り行きと言えます。彼の言う通りに働き、献身的に支えます。健気なところもあり、彼がリリス・リッター博士に心惹かれていることに気が付いても咎めず、こっそりと古巣の仲間に電話しては「うん、上手くやってるわ」と涙を流しながら自分を慰める姿には胸が痛みます。

ただし、彼女は芯の強い女性でもあることが終盤分かります。インチキ霊媒師ビジネスが本格的にやばい方向に進みそうになった時、スタンに「私はいつだって自分の限界をわかっているの。」とサーカス時代の自分の話を出し、スタンのやっていることは間違っているとはっきりと伝えます。それでもこれで最後だからと巻き込まれて恐ろしい目に遭うのですが・・・最後にはスタンを見捨てて去っていきます。彼女がどこに行くのかは分かりません。カーニバルにまた戻るのかもしれないし、違うかもしれない。彼女は若さと正しさの象徴であり、また帰る場所がある人なのだと思います。

リリス・リッター博士

彼女に関しては、スタンの被害者という要素はあまりないですが、強いていうならば、関わらない方が良いことは百も承知で、彼の心の闇に心理学博士として興味を持ってしまったことや、自分の正義のためにかなり危ない橋を渡ってしまったところ、といったところでしょうか。

リリスは過去に権力者エズラ・グリンドルにひどい仕打ちをうけています。なかなかの切れ物であると踏んだスタンを通して仕返しを目論んでいたのか・・・?それにしても、二人が繋がっていることが明るみに出れば、次は命がないことだって分かっていたはず。そう思うとスタンと出会ってしまったことで彼女の運命も狂ってしまった、とも言えます。

リリス・リッター博士がスタンにとった行動の謎

この物語の最大の謎です。答えがないからこそ、考えるのが面白い部分!

仮説その①ショーで自分のバッグの中身が見破られ、恥をかかされたことを許せないから。

うーん。彼女の挑発は、一種の試験だったはず。スタンがうまく切り抜けられなくても「その程度のテクニックしかもってないのね」で済むし、うまく切り抜けたことで「なかなかやるわね」と良い人材をみつけられるわけですから、どっちに転んでも良いことしかないはず!そんな小さなことを気にするタイプにも見えません。

仮説その②リリスはグリンドルに対して仕返しをしたかったから

これはモチーフとしてはゼロではないと思います。元々患者だったグリンドルに何がどうなって傷付けられたのかは分かりませんが、体のひどい傷跡を見る限り、壮絶な痛みを伴ったはずです。あまりにも理不尽です。しかも、被害者は彼女一人ではなく、もっといるらしい・・・とはいえ、そんなグリンドルを攻撃するのは一筋縄ではいかない。顔バレ・身バレしている自分が直接手を下すわけにもいかない・・・。そこで精神科医として知ったグリンドルの唯一の弱みである若い頃の恋人(故人)の存在を使って、なんとか懲らしめる方法を考えていたところにスタンのことを知った。そして、彼をイカサマ霊媒師に仕立て上げた。

ここまではわかるとして、スタンを騙す必要はなかったのでは?

仮説その③精神科医として実験したかったから

話が進むに連れどんどんダークになっていくのですが、リリスはスタンに協力的な姿勢を見せつつも巧みにコントロールしていきます。例えば、精神分析をしていくうちにスタンの弱点は酒であることに気付き、頑なに酒を口にしないスタンをそそのかします。

というのも、スタンが実質的に殺してしまった父親はアルコール中毒で、母親に見捨てられてしまいます。そんな父親を彼は心底軽蔑していたのです。また、読心術の師匠となるピートもアルコールに溺れ、手を下すつもりはなかったかもしれませんが、その部分は蔑んでいたかも。自分は酒を口にしないから同じ過ちは犯さないという過信もあったのでしょう。俺は酒は絶対に飲まない、と「絶対 never」がやたらに出てくるので観ている人も気になるポイントだったかと思います。そして、心的負荷のせいなのか、スタンはあっという間にお酒に飲まれてしまいます。そこから転がり落ちるのはあっという間。正しい判断はできなくなっていきます。

劇中でリリスはスタンに対し、成り上がり者であることを非難するシーンがあります。時代背景を考えると・・・まだまだ階級社会で、女性が活躍するのが困難だったはず。ひょっとしたら、リリスは”わきまえない”スタンに対して嫌悪感を抱いていたのかもしれません。

自分の方が一枚上手だと思っていたのに、実はリリスの手の上でずっと踊らせていたことに気が付いた時の絶望感。さらに自分が世界で一番執着していたお金をも巻き取られて、自分をコントロールできなくなるスタンは闇に消えてしまうのです。

スタンと父親の関係

親子関係は、映画全体を通してひとつのテーマで、至る所に伏線があります。例えば・・・ジーナ&ピートが読心術の稽古をつけている時に「(占いに救いを求めている人なら大概)男なら父親、女なら母親との問題を抱えているものだ」とし、このような普遍的なモチーフを熟知した上で、小さなヒントを手がかりに情報を手繰り寄せるのだと説いています。

スタンも先述の通り、酒に溺れて母親に見限られた父親のことを心底軽蔑し、最後には彼を死に追いやり、家ごと燃やしてしまいます。その際に父親が肌身離さずつけていた腕時計だけは持っていくのですが… 一番大切にしていたものだから奪い取ってやった、ということなのかもしれませんが、そこはやはり執着なのだろうと思います。母親という存在を渇望する心と、息子の自分の方を向いてくれない父親への憤り、寂しさ・・・それらを紛らわせてくれるのが観客の拍手であり、成功、お金だった。

スタンの最大の不幸は、両親のように見守ってくれたジーナ&ピート夫妻、献身的に支えてくれたモリーの愛情を理解できなかったところにあると思います。幼少期に受ける(主に両親からの)愛情が、その後の人格形成に大きく影響するとはいえ、大人になってからだって愛してくれる人はいるのになぁ・・・だとか、それを受け取れるかどうか(それを若いうちに練習できているかどうか)が人生を左右するのだなぁ・・・そんなところに普遍的な人間という生き物の葛藤を感じたり。

イーノックが意味するもの

最後にイーノックの存在にも触れておこうと思います。イーノックと名付けられたのは、カーニバルのマネージャー・クレムのテントの中にあったホルマリン漬けにされた三つ目の胎児。大きなガラスのジャーに入っていて、その悪趣味でグロテスクさに少なからずショックを受けるだろう(デル・トロ監督らしい演出ではありますが)。母親は出産と同時に命を落としたのだと言う。クレムは、この胎児の目がどこから見ても自分をみつめているような、不気味なところが気に入っている。

ちなみに・・・イーノックは聖書にも出てくる人物である。ちょっと調べてみたところ、ノアの方舟でよく知られるノアの曽祖父にあたり、ヘブライ語では「神に従うもの」という意味があったり、また彼の死に関する記述がないことから「神と共に歩くもの」「神に連れて行かれたもの」と呼ばれているらしい。

それらを踏まえてスタンとのクロスオーバーを考えてみると・・・まず、親の命を奪ってしまった過去が挙げられる。そして、イーノックがガラスジャーに閉じ込められているように、スタンもその過去から逃れることはできない、囚われの身である。更にラストシーンで・・・父親の腕時計も酒のために二束三文で売り、一文無しで悪臭を放つほどボロボロのスタンが新しいカーニバルマネージャーの元へ仕事を求めて訪ねると・・・そこには、かつて自分がクレムに5$で売ったラジオとイーノックが隣り合わせで飾られている。彼らは神に連れて行かれた者同士なのだ。運命を自分では操れない。それを観た瞬間に観客は全てを理解し、そして、分かりきった結末を固唾を飲みながら待つ。デジャブだ。

『君に仕事を与えよう。その・・・本物のギークがみつかるまでの一時的な仕事なんだ』
「Mister… I was “born” for it.」(私はその為に生まれました。)

関連書籍など

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古い方が↑。映画公開に合わせて出てるのが↓。

著:ウィリアム リンゼイ グレシャム, 翻訳:柳下 毅一郎
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この記事を書いた人

ドイツ生まれ・育ちのラジオパーソナリティー ・マルチリンガルMC ・通訳。27歳で日本に移住。現在TOKYO FM・JFN・NHK Eテレ(「旅するためのドイツ語」)にレギュラー出演中。

今までに勉強した言語は、日本語・ドイツ語・英語・ラテン語・フランス語・スペイン語・韓国語・中国語の8ヶ国語。

ペンギン・猫・映画 ・DIY・どら焼きが好き。

FM BIRD所属。

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