2018/5/11「クロノスWIZ」オンエア曲リスト

今日は久々に快晴でした。アースギャラリーから見る景色は本当に綺麗でついつい写真を撮ってしまいます。それをすぐに共有すれば良いのに、気が付いたらもう夜・・・(笑)

今週はSingTuyoのお二人のお陰で、クロノスのtwitterも、いつも以上に賑やかで盛り上がっていました。いつも聴いてくださっている方、ありがとうございます。

さて、今日のオンエア曲リストです♫

 

2018/5/10「クロノスWIZ」オンエア曲リスト

今日のクロノスWIZのオンエア曲一覧です。
Apple Musicは、視聴もできます♪

FM BIRDのオーディション情報

昨年6月からお世話になっている所属事務所FM BIRDでは、毎年オーディションが開催され、ラジオDJ・パーソナリティ・メディアタレントを目指す人材を広く募集しています。今年の締め切りは5月14日(月)ですよ〜!

こちらのページから詳細をご覧いただけます。なんと私からのコメントも掲載されています・・・!

去年の今頃、(この業界を目指すには)年齢的にそろそろ限界かなぁ・・・と諦め始めてた時にみつけたのがFM BIRDのオーディション情報でした。これがラストチャンスかもしれない、ダメだったら一旦スッパリ諦めようと願掛けをして、締め切り前日夜中に応募書類を速達で送ったのも今となっては良い思い出です。

オーディション合格者は研修生として、経験やスキルに応じた研修を受けます。私のように全くの未経験者は、DJセミナーを同時並行で受講するのも良いと思います。

放送局のオーディション対策もたくさんしてもらいました。時に厳しく、やればやるほど自分の至らない部分が見えてきて落ち込みもしますが(笑)、誰よりも私を信じてくれて良いところも教えてくれました。だから、納得感が伴うオーディションだったんですよね。それだけの教育をできる人が側にいることは、デビュー前には何よりも必要です。実績があり、且つこれだけ手厚いサポートをしてくれるところがFM BIRDのすごいところです。

お陰様で長年の夢だったラジオデビューができた私ですが、これからが正念場です。まだまだ勉強・経験が足りないところ、克服したいところが沢山あります。放送が始まってからも事務所は忙しい中でフィードバックや、愛のある「ダメだし」を毎回してくれます。

聴いてくださっているリスナーさんのためにも、育ててくれている事務所のためにも、1日も早く一人前になりたい、そう願う日々です。私の合言葉はラテン語の格言「ゆっくり急げ」で、精進あるのみ!

夢を諦める前に・・・一度チェックしてみてくださいね♪

オーディション概要
https://fmbird.jp/audition/

DJセミナー
https://fmbird.jp/seminar/

ドイツ大使館メディア「Young Germany」にインタビューされました

ドイツ大使館が運営しているメディア「Young Germany」には、ベルリン在住の作家である久保田由希さんによる「ドイツで羽ばたく日本人」という連載があるのですが、インタビューしていただきました!

ドイツ生まれの日本人だからこそ伝えられること 綿谷江利菜さん

実は、私自身もずっと読者として楽しみにしていた連載記事だったので、オファーを頂いた時はびっくり!しかも、普段とパターンが真逆なんです。ドイツで活躍する日本人ではなくて、私はドイツで生まれ育った日本で活動中の日本人なので「え、私で大丈夫か?!」と戸惑いつつ、嬉しかったので深く考えずに「喜んで!」とお返事していましたが(笑)

久保田由希さんとは以前から面識はあるものの、ちゃんとお話をしたのは初めて。でも、気が付いたら3時間近くの時間が過ぎていました。想いはたくさんあるし、話したがりな自分もあるけど、快活で聞き出し上手な由希さん。私が言いたかったことをギュッとつめこんでくれた記事になりました。他者の目から見た自分の伝えたいメッセージがこうして記事になるなんて、新鮮で、また自分を客観視する素晴らしい機会となりました。

私は、サードカルチャーキッズやその周りの人たちがより幸せで前向きな気持ちで物事と向き合っていけることを願っているし、非エリートのロールモデルにもなりたいし、「へぇー。こんな人もいるんだね」だとか「こんな風に考える人もいるんだね」って思ってもらいたいし、少しずつで良いから伝えていきたい。自分の経験だけじゃなくて、もっとたくさんの人のことも。というのも、国際児って、自分と似た境遇の人の多種多様な経験談、ましてや失敗談なんて聞く機会がまだまだ圧倒的に少ないから、些細なことで悩んでしまうことが多いように感じているんです。しかも、親御さん自身は育った環境が違うから共有できないことがほとんど。これはものすごく大事なポイントです。言ったところでなんの解決にならないから言わない子供の方が多いとは思いますが、育った時代も環境も違う貴方たちに私の気持ちなんか分かるもんか!って気持ちがあって当然なんです。だから、横の繋がりはとっても大切。もっとアクセスしやすい情報であるべきなんです。

ラジオのDJになりたいのは、自分の夢でもあるけど、そんな野望を一番叶えられそうだから。その為なら苦手なことだって努力して克服したい。何より自分の人生楽しんでやる!とモチベーションが湧いてきました。いつかの誰かに元気をお裾分けできることを願って。

とても読みやすい記事なので、是非ご覧ください。感想・コメントなどもお待ちしております。

久保田由希さんの最新書籍。

主にベルリン、ドイツ人の暮らしにフォーカスした著書が多く、限られた時間とお金の使い方を少し変えるだけで楽になるんじゃない?と提案しています。実はお金がなくちゃできない流行りの丁寧な暮らしも悪くはないけど、もっとシンプルにできることって沢山ある。そういう世界を垣間見れるのが彼女の作品の魅力だと思います。

多文化の中で育つと第三のカルチャーを形成するのだそう。私にはぴったりハマりました。

距離感を時間に例える東京人、そのままのドイツ人


(C)PhoTones_TAKUMA

東京に住み始めてから「なんか、話が通じない・・・?!」と感じたことのひとつが、距離に対する感覚でした。人間関係を構築する上での距離感ではなくて、A地点〜B地点の距離の話。東京から主要都市までの距離とか、主要駅から自宅までの距離なんて、誰でも知っているんだとばっかり思っていた私。

住んでいる場所の話をする時に距離を言っても通じない

例えば、自分の住んでいる場所の説明をする時に、私は「◯◯◯(近くのメジャーなターミナル駅)から大体3Kmくらいです」と答えていました。山手線沿いの駅なら大抵の人は分かるので、A駅なら北に3.1Km、B駅なら北東に1.9Km、C駅なら南に3km・・・と数字がインプットされているので、そのどれかを伝えても「ふぅーん」と反応が薄いか、或いは「そんな細かく答える人、初めて見た!」と笑われるかのどちらかでした。いずれにしてもピンとは来ないようでした。そして、気が付いたのです。私の回答は、的確かもしれませんが、誰も求めていない情報のオンパレードだったのだ、と。

東京の人には(電車で)◯分が一番分かり易い

東京に住んでいる人のほとんどが電車を使うので、質問者が知りたかったのは何線沿いなのか、何駅が近いのか、です。なので、「◯◯◯から5分くらいです。」と答えるようにしたところ、「そこってもう足立区になるの?」「友達近くに住んでる!」「意外と都心まで近いんですね。」などなど色んな反応が返って来て、コミュニケーションが生まれます。これは大きな学びでした。

それに対して、ドイツ人と話す時は、時間で言っても「それって何を使った時の話?」「それ何キロなの?」と聞かれると思います。例えば、「Wie weit ist Kyoto von Tokyo?(東京から京都はどれくらい離れているの?)」という質問なら、「Ungefähr 460Km. Man erreicht Kyoto mit dem schnellsten Shinkansen(zug) in ca. zwei Stunden. (大体460km。一番速い新幹線で行くと2時間ちょっとで着くよ。)」と答えてあげるとすごく親切だと思いますよ〜。

ドイツ人にとって、460kmは2時間強で移動できる距離ではない

というのも、460kmという距離感は掴めても、まさか2時間ちょっとで行けるとは思っていないからです。ベルリンからニュルンベルグが大体同じ距離なのですが、電車で行こうとすると二倍以上の5時間弱(笑)だからか、「ねぇ、京都ってそんなに近いの?」とよく聞かれます。ベルリンから2時間で行ける所というとドレスデンやハンブルグ辺りなのですが、距離は200km前後。いかに日本の新幹線が超高速列車か分かります。しかも、遅れない、ストもない。・・・そう、そこがポイントなんです!

日本の電車や新幹線は距離の単位

日本の電車は、時間通りに来るという絶対的な信用があるので、A地点〜B地点の距離を表す物差しに成り得るのだなぁと納得したのでした。これは本当にすごい。でも、距離も知ってた方が便利じゃ・・・ない???そんなこともない・・・?国ごとに1時間あたりに移動できる距離は先進国の中でもかなり差がありそうですよね。

ドイツ人はいつ傘を差すのか?

今日は久々に東京は雨が降ったので、かなり久々に傘を差しました。そこで、ふと、ドイツ人は傘を差さないと言われているけど、差すとしたらどのタイミングなのだろう?と考えてみました。

差さない理由は、そもそも傘を差すのが面倒くさい、差したり畳んだりするのが面倒くさい、携帯することが面倒くさい、フードがあれば充分、濡れてもすぐ乾く…などがあります。自転車に乗りながら傘なんて差したら怒られます。

私自身も、東京でもあまり差しません。折畳み傘も持っていません(笑)それでも、今日は傘がいるなあ…と判断する基準は、空模様を見て雨が降り止まなさそうで、雨粒が大きく、綺麗で濡れるとシミになりそうな洋服を着ていて、しかも、10分以上歩くか…などです。

特に、空模様を判断することと雨粒の大きさというのは大事なファクターだと思います。日本は天気予報をかなり信用できますが、ベルリンは大陸型の気候なので風の流れが速く、自分で判断することが多かったです。それで、これは当分止みそうにもないなぁと思えば傘を持って出ますし、出先で降られた時も同じ論理で傘を買うかどうかを決めます。と言っても、ビニール傘なんてものはないので、近くで5€くらいの物が手に入れば、ですが。安く傘を購入することができなさそうであれば、諦めてしばらく待つか、それもダメなら仕方ないのでびしょ濡れになるという選択肢を取ります。フードのあるものを着ていれば待つ時間が短くなります(笑)

そもそも機能性の高い上着、少なくともフードの付いているものを着ている人が多く、靴も防水スプレーしているし、お化粧が落ちるとか、折角巻いてる髪の毛が台無しになるとか、そのようなことを気にしている人が東京と比べて圧倒的に少ないので、まあ、仕方ないなと思っているケースが多いのだと思います。

髪型と言えば、年配のご婦人に傘よりも人気?なのが、Regenhaubeと呼ばれるヘアーキャップです。1週間に一度、美容室で綺麗にセットしてもらった髪型が雨でぺたっとしないように使います。日本語でコレを何といえば通じるかしら?

出展: Amazon

このウェブサイトの写真が一番分かりやすいので載せておきます。

Anders Anziehen

【ご報告】6月26日(日)2時間SP「初耳学」に出ました!ドイツ語と顔のむくみ解消「舌スイングエクササイズ」

6月26日(日)21時00分〜(TBS)「林先生が驚く初耳学」に出ました!

ゲスト:菊川怜、小杉竜一(ブラックマヨネーズ)、澤部佑(ハライチ)、DAIGO、出川哲朗、中島健人(Sexy Zone)、本田望結、和田アキ子、宇治原史規(ロザン)

「顔のむくみ」に関するトピックで、日本語を話す時は表情筋の20%、ドイツ語だと80%も使うらしいが、本当なのか?という検証を「桃太郎」を読みながらさせて頂きました。なぜ桃太郎なのかは分かりません(笑)

テレビの力は凄い!と実感

シェアメイトたちと一緒にご飯を食べながら、ワイワイといつ出るのかなぁ〜とドキドキしながら見ておりました^^全国放送の番組に登場することなんて滅多にないイベントなので浮かれていて、写真を撮ることをすっかり忘れてしまいました(笑)ところが!シェアメイトと友人数人以外には誰にも伝えていなかったのですが、本当にたくさんの方々から「見たよ!」「江利菜ちゃんだよね?」とメッセージを頂きました。補習教室時代の恩師からもメールを頂き、嬉しい気持ちでいっぱいです。名前も出ていないのに気が付いてくれて、連絡までくれて、これだけでもとっても嬉しくて。次は名前付きで出れるように頑張るぞ!と元気をもらいました。

twitterfacebookで紹介した写真は、お箏奏者の吉崎明日佳ちゃんが一番に送ってくれたものです。どうもありがとう!

本当に表情筋の80%も使ってるの?!

サーモグラフィーで撮ると違いは一目瞭然!これ結構面白い絵だと思うのですが(笑)全然やらせじゃないんですよ。両言語とも読んだ回数もページ数も大体同じです。今日の放送を見て、正直なところ、おでこは実感がないのですが(眉毛かしら?)、首は実感がすごくあるんですよね。喉を鳴らすというか響かせる音もあるので・・・!Rの発音なんでまさしくそうです!過去にこんな記事を書いてました。

【ドイツ語】Rの発音はGrrrr…と練習すると上手くいく。使う筋肉はHと一緒。

ドイツ語できなくても大丈夫!舌スイングエキササイズのやり方

既にいろんなところで紹介されていますが、顔のむくみ解消に良いそうです。最近ドイツ語を話す機会も減っているのでやってみます(笑)

⑴両手を胸の前でクロスさせて

⑵舌を限界まで突き出して

⑶目線を一緒に左右交互にスイングする

⑷一回につき8回、1日に3セットする

宝田先生、すごく若くてびっくりしました。本も監修として出してらっしゃるんですね。

Ach soは本当によく使うけど、Nanuはほとんど使わない

個人差はあるんですけど、Sexy Zoneの中島健人さんが出したネタの2つのうち、「Nanu?」という表現を私は使ったことがない。間違っているということではなくて、ちょっと古い言い方なんですよね。だから、今でも使っている地方は限られてくるんじゃないかな?というのが私の予想です。

お仕事ください!

今後もこういうドイツ語ネタ(ナレーション・通訳・なんでもありです)はどんどん受けてゆきたいと思っておりますので、今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。

 

【続編】ドイツで奨学金を一括返済したら7600ユーロ(約92万円)で済んだ話

昨年、ドイツの国立大学卒業後に負う借金は最高10000ユーロ(約133万円)で皆さんにご紹介した通り、私は日本国籍でありながらドイツの税金で賄っている奨学金制度を使って、母からの仕送り無しで悠々自適な学生生活を送りました。

昨年、返済催促の通達が来たので、今年の初めに予定通り一括返済をしました。ローン返済(無利子)だと合計10860ユーロのところ、一括で返すと約8500ユーロ。更に成績が上位30%に食い込めば更に元本から30%の値引きがあります、というところまでご報告しておりました。

一部免除の申請をしたら無事通りました!ちゃんと過払い分が私の口座に返ってきましたよ。私が最終的に支払った額は7600ユーロなので、3260ユーロ得したことになります。私の財テクでは5年の間にこれだけの利益を出すのは難しいので、一括返済を選んだのですが、有難いなあという気持ちで使わせてもらったお金を気持ちよく返せて、借金もゼロになって晴れやかな気分です。

大学生になるまでのフィルタリングが不平等であると教育格差が問題になっていますが、それでも、大学生にこれだけ手厚いサービスを国籍に関係なく※提供してるのは凄いと思います。4年間もの間、特に節約することなく、大学で学び、留学し、学位を得るのに必要な自己負担額がたったの7600ユーロ(92万円)って相当安いと思います。90万円って国立大学の二年分の学費くらいですよね?

ふと思ったのですが・・・EUではBrexitが起こるかもしれないという前代未聞の事件や難民問題があり、ドイツが受け得る影響は大きいでしょうし、大学で学ぶ人間も年々増えているとなると、ひょっとしたら最後の恩恵を受けた世代なのかもしれませんね?

※留学生や大学からドイツに来ている方の扱いは別です。ドイツの高校を卒業していて、且つ両親がドイツで生活をしていることが条件。

 

Bafög Nachlass 1

Bafög Nachlass 2

 

バイリンガルになれても、何者にもなれなかった

国際児に生まれたら、或いは国際児になったら、「国際児らしく」振舞わなくてはならないのでしょうか?ふたつ以上の言語を習得して、バイリンガル・マルチリンガル且つバイカルチャル・マルチカルチャルではなくてはならないのでしょうか?

私は違うと思います。

「医者の子供だから医者にならなくてはならない」とは限りません。「東大生だからエリート官僚にならなくてはならない」とは限りません。それと何ら変わらないことなはずなのに、もっと多くの可能性があっても良いはずなのに、選択肢を実質的に与えられていない子どもがあまりに多いように感じています。

今からお話することは、私がまじめに努力し、バイリンガルというステータスを手に入れたにも関わらず、「一生懸命に頑張ったのに、一体何だったんだろう?」と燃え尽きてしまった経緯とその理由の考察です。

バイリンガルになれても悩んでいた。

それは大学を卒業して間もない頃の話です。

ギムナジウム時代の「ジャパンコンプレックス」から解放されて、ドイツ語力もやっと引け目を感じずに済むようになり、とにかく学ぶことが楽しかった大学生活。国費で留学までさせてもらい、韓国語を身に付け、同じ学科の卒業生の中で一番良い成績で卒業できました。更に、韓国最大のとある財団のベルリン支局長アシスタントの仕事も教授の推薦で決まりました。しかし、意気揚々と始めたものの雇用体制が当初の約束と違ったことが原因で揉め、三ヶ月で退職してしまいます。

その後、少しでも経験を積むために就職したら良いのではないかと母や周りの人に言われ、履歴書を出してみたものの、大企業は書類審査でことごとく落ちました。プロの人にチェックをしてもらって書類の体裁は整えていたので、学歴(大学名というよりも出身学部)が当時のニーズに全く合わなかったのでしょう。例えば経済学部出身で中国語が堪能であったならば面接くらい行けたかもしれません。歴史文化学部出身で日本語ができても、誰にも興味を持ってもらえなかったのです。

人格否定をされたわけではないのは分かっていましたが、すっかり自信を失くしてしまいました。ぽっかりと穴があいてしまいました。かといって、語学力を重宝がってもらえる日系企業に就職する気持ちも起きなかったのです。面接に伺い、内定を頂いたことにホッとしましたし、嬉しい気持ちはありました。でも、頭では経験値は上がるはずだから悪くないんじゃない?と考えていても、何かが引っかかって、心がどうしても動きませんでした。

語学力に頼りすぎていたことが原因

外国語がちょっと出来る、スペックがちょっと高いくらいで、中身がない(得意なこと・好きで好きでたまらないもの・人生を賭けても良いと思えるものがない)自分に気が付いてしまったのです。言語はオプショナルツールでしかありません。私にとっては大事な部分であっても、他人からすれば有っても無くても良いもので、要するに本質的ではないのです。ただ何年間もかなりの労力を投入して得たものなので、プライドだけはしっかりあり、これを認めるのはとても辛い作業でした。

そもそも、ヨーロッパではマルチリンガル・マルチカルチャルであることは大して珍しいことではありません。皆、ひとつの特性に過ぎないと認識しています。

しかし、私は日本の家庭で育ち、日本人から「それだけ言葉ができれば何でもできるよ」「仕事なんていくらでもあるよ」という言葉をよく聞きました。そして、それを鵜呑みにしていました。今になって考えてみると、彼らは「今の自分にそれだけの語学力があったら、もっと良い仕事できるのになぁ・・・」と言っていたと理解できる気がします。

ドツボにはまって主体性を育む心の余裕がなかった

この問題は、バイリンガル教育がいつ始まったのかが重要なポイントになってくるのではないかと思っています。幼少時から自然と無理なく(個人差はありますが)勉強する環境にあった場合(いわゆる「獲得型バイリンガル」)は、私と同じようなスパイラルにはまりにくいのではないでしょうか。

私の場合、ドイツ生まれなので、発音はネイティブですが、勉強を始めたのが中学生からなので、自分では「達成型バイリンガル」に属すると考えています。多感な時期に周りの子に遅れを取っているのをひしひしと感じながら何年も過ごすのは、精神的に結構辛いものです。

しかも、日本的な感覚とドイツの学校制度の組み合わさった周囲の期待も少なからずプレッシャーになっていました。

日本の感覚では、高校卒業後の進路として「就職 or 進学」の二つの選択肢から選ぶのが一般的です。しかし、ドイツの教育システム上、国立大学に進学できるのは(主に)ギムナジウムで定められた単位を取り、且つアビトゥーア(大学入学資格)を取得した者のみです。当時アビトゥーアを取得する人が同年代の3割強、実際に落第・退学する生徒が学年の3割程度でしたので、社会の中では大学進学者はマイノリティーなのですが「ギムナジウムを卒業できなかったら恥ずかしい!」という気持ちが強くありました。

因みに、主要科目で赤点をふたつ以上取ってしまったら落第確定です。まぁ・・・ドイツ語はずっと赤点だったので(笑)、他の科目は赤点だけは避けなくてはならないし、丸々2年遅れてる英語も早く取り戻さなくてはならないし、ラテン語やフランス語などの外国語はスタートが一緒だから食らいついていかなくてはならないし、数学は唯一良い成績を確実に取れる科目だったので上位キープしておかなくてはならないし・・・目の前の「やらなければならないこと」をこなすだけで精一杯。とにかく必死でした。反抗期もないまま中高時代を終えています。

成果が出始めると誰も心配しなくなる

もうひとつ、私が学校の勉強ばかりに気を取られてしまった要因があるとしたら、揃いも揃って語学堪能で優秀だったら日本語補習教室の同級生かもしれません。今でも大好きな、大切な仲間たちには、良い刺激も沢山もらっていましたが、同時に「自分はまだまだ全然ダメだ」と劣等感からくる焦りも感じていました。

結果的にますます(数字で出るのでわかりやすい)学校の成績を人並みにすること、ドイツ語力を上げることに執着し、私の世界はどんどん狭まってゆきました。

編入してから三年程経った頃には、成績も人並みになり、アビトゥーア取得も現実的になり始めました。すると何が起きるかというと《これで良いんだ》と安心してしまうのです。私自身もそうですし、母や周りの大人も然り。「偉いね」「落第せずにすごいね」「頑張ってるね」とお褒めの言葉を頂く度に《これで良いんだ!》と脳がインプットしてしまうのです。

言葉の壁は低くなっている

考える力を身に付ける為に母国語をしっかり勉強することはもちろん重要です。でも、その言葉がふたつ以上ある必然性はないのではないでしょうか?

世の中には、バイリンガル・トリリンガル・マルチリンガルと呼ばれる人は本当に沢山います。言語がちょっと出来るという理由だけで引く手数多だろうと仮に信じているとしたら、それは時代遅れだと思います。

今やグーグル翻訳を使えば、簡単な文書なら瞬時に読める時代です。翻訳業・通訳業が完全にコンピュータに淘汰されるとは思えませんが、「言葉の壁」が以前と比べるとずっと少ないお金で解決できる問題になっていることは事実です。1時間5000円程度で買えるスキルに囚われるのはもったいない。

このことを踏まえると、自分の置かれた状況(生まれた場所、両親の国籍など)故に感じてしまう、なんとなく正しい気がしてしまう「使命」を無理に果たすこともないと思うのです。それは、例えば、自分のアイデンティティー・ルーツと言語を切り離して考えるという選択肢がもっと広まっても良いのではないかということです。

私の願い

親子とはいえ、育った時代が違います。国際児なら環境もかなり違います。しかも、とても多様で複雑です。自分のルーツが4つ以上あって、それらの国と全く関係ない場所で生まれ育つ子もいるような時代です。家族間で母国語や文化が違うこともあります。要するにまったく違う影響を受けながら大人になるわけですから、自分の子どもが感じることを理解できないこともあるでしょう。でも、それを枠にはめこまず、カテゴライズできないものとして捉えて欲しいのです。その子が感じることを全面的に信じて欲しいのです。そして、その気持ちを追求して欲しいのです。

もし今15歳の私に会えるのであれば、「わけもなく惹かれるものをもっと大事にしなさい。勉強だけが全てじゃない。」と言いたい。私が「あの頃、どうして誰も私の好きなものは何かと尋ねてくれなかったんだろう?」「あの頃、どうして私が将来の夢を持てないことを問題視してくれなかったんだろう?」「あの頃、どうしてもっと私の気持ちを聞いてくれなかったんだろう?」という、誰が悪いわけではない、行き場のない憤りは、周りの大人の期待という枠にはめ込まれてしまったことで生まれたものです。

私は、世の中がもっとフラットになってほしい。

世の中がもっとフラットになれば、もっと多様な人が世界に出て行くようになるのではないでしょうか?出てゆきたい人が出てゆく、ただそれだけだからです。それが、結果的にはグローバルになることを求められているこのご時世で、この国が生き延びていく上でも必要なことのひとつだと思うのです。

「周りの大人の期待に応えようとする子ども」は国際児に限りません。実は、普遍的な問題です。その中で私は思い入れのある国際児たちの生きづらさをなくしたい。その為に今の私には具体的に何ができるんだろう?と悶々としている日々を過ごしています。このブログも誰かの気持ちを少しでも楽にする手助けとなれば、と願って。