国際児に生まれたら、或いは国際児になったら、「国際児らしく」振舞わなくてはならないのでしょうか?ふたつ以上の言語を習得して、バイリンガル・マルチリンガル且つバイカルチャル・マルチカルチャルではなくてはならないのでしょうか?
私は違うと思います。
「医者の子供だから医者にならなくてはならない」とは限りません。「東大生だからエリート官僚にならなくてはならない」とは限りません。それと何ら変わらないことなはずなのに、もっと多くの可能性があっても良いはずなのに、選択肢を実質的に与えられていない子どもがあまりに多いように感じています。
今からお話することは、私がまじめに努力し、バイリンガルというステータスを手に入れたにも関わらず、「一生懸命に頑張ったのに、一体何だったんだろう?」と燃え尽きてしまった経緯とその理由の考察です。
バイリンガルになれても悩んでいた。
それは大学を卒業して間もない頃の話です。
ギムナジウム時代の「ジャパンコンプレックス」から解放されて、ドイツ語力もやっと引け目を感じずに済むようになり、とにかく学ぶことが楽しかった大学生活。国費で留学までさせてもらい、韓国語を身に付け、同じ学科の卒業生の中で一番良い成績で卒業できました。更に、韓国最大のとある財団のベルリン支局長アシスタントの仕事も教授の推薦で決まりました。しかし、意気揚々と始めたものの雇用体制が当初の約束と違ったことが原因で揉め、三ヶ月で退職してしまいます。
その後、少しでも経験を積むために就職したら良いのではないかと母や周りの人に言われ、履歴書を出してみたものの、大企業は書類審査でことごとく落ちました。プロの人にチェックをしてもらって書類の体裁は整えていたので、学歴(大学名というよりも出身学部)が当時のニーズに全く合わなかったのでしょう。例えば経済学部出身で中国語が堪能であったならば面接くらい行けたかもしれません。歴史文化学部出身で日本語ができても、誰にも興味を持ってもらえなかったのです。
人格否定をされたわけではないのは分かっていましたが、すっかり自信を失くしてしまいました。ぽっかりと穴があいてしまいました。かといって、語学力を重宝がってもらえる日系企業に就職する気持ちも起きなかったのです。面接に伺い、内定を頂いたことにホッとしましたし、嬉しい気持ちはありました。でも、頭では経験値は上がるはずだから悪くないんじゃない?と考えていても、何かが引っかかって、心がどうしても動きませんでした。
語学力に頼りすぎていたことが原因
外国語がちょっと出来る、スペックがちょっと高いくらいで、中身がない(得意なこと・好きで好きでたまらないもの・人生を賭けても良いと思えるものがない)自分に気が付いてしまったのです。言語はオプショナルツールでしかありません。私にとっては大事な部分であっても、他人からすれば有っても無くても良いもので、要するに本質的ではないのです。ただ何年間もかなりの労力を投入して得たものなので、プライドだけはしっかりあり、これを認めるのはとても辛い作業でした。
そもそも、ヨーロッパではマルチリンガル・マルチカルチャルであることは大して珍しいことではありません。皆、ひとつの特性に過ぎないと認識しています。
しかし、私は日本の家庭で育ち、日本人から「それだけ言葉ができれば何でもできるよ」「仕事なんていくらでもあるよ」という言葉をよく聞きました。そして、それを鵜呑みにしていました。今になって考えてみると、彼らは「今の自分にそれだけの語学力があったら、もっと良い仕事できるのになぁ・・・」と言っていたと理解できる気がします。
ドツボにはまって主体性を育む心の余裕がなかった
この問題は、バイリンガル教育がいつ始まったのかが重要なポイントになってくるのではないかと思っています。幼少時から自然と無理なく(個人差はありますが)勉強する環境にあった場合(いわゆる「獲得型バイリンガル」)は、私と同じようなスパイラルにはまりにくいのではないでしょうか。
私の場合、ドイツ生まれなので、発音はネイティブですが、勉強を始めたのが中学生からなので、自分では「達成型バイリンガル」に属すると考えています。多感な時期に周りの子に遅れを取っているのをひしひしと感じながら何年も過ごすのは、精神的に結構辛いものです。
しかも、日本的な感覚とドイツの学校制度の組み合わさった周囲の期待も少なからずプレッシャーになっていました。
日本の感覚では、高校卒業後の進路として「就職 or 進学」の二つの選択肢から選ぶのが一般的です。しかし、ドイツの教育システム上、国立大学に進学できるのは(主に)ギムナジウムで定められた単位を取り、且つアビトゥーア(大学入学資格)を取得した者のみです。当時アビトゥーアを取得する人が同年代の3割強、実際に落第・退学する生徒が学年の3割程度でしたので、社会の中では大学進学者はマイノリティーなのですが「ギムナジウムを卒業できなかったら恥ずかしい!」という気持ちが強くありました。
因みに、主要科目で赤点をふたつ以上取ってしまったら落第確定です。まぁ・・・ドイツ語はずっと赤点だったので(笑)、他の科目は赤点だけは避けなくてはならないし、丸々2年遅れてる英語も早く取り戻さなくてはならないし、ラテン語やフランス語などの外国語はスタートが一緒だから食らいついていかなくてはならないし、数学は唯一良い成績を確実に取れる科目だったので上位キープしておかなくてはならないし・・・目の前の「やらなければならないこと」をこなすだけで精一杯。とにかく必死でした。反抗期もないまま中高時代を終えています。
成果が出始めると誰も心配しなくなる
もうひとつ、私が学校の勉強ばかりに気を取られてしまった要因があるとしたら、揃いも揃って語学堪能で優秀だったら日本語補習教室の同級生かもしれません。今でも大好きな、大切な仲間たちには、良い刺激も沢山もらっていましたが、同時に「自分はまだまだ全然ダメだ」と劣等感からくる焦りも感じていました。
結果的にますます(数字で出るのでわかりやすい)学校の成績を人並みにすること、ドイツ語力を上げることに執着し、私の世界はどんどん狭まってゆきました。
編入してから三年程経った頃には、成績も人並みになり、アビトゥーア取得も現実的になり始めました。すると何が起きるかというと《これで良いんだ》と安心してしまうのです。私自身もそうですし、母や周りの大人も然り。「偉いね」「落第せずにすごいね」「頑張ってるね」とお褒めの言葉を頂く度に《これで良いんだ!》と脳がインプットしてしまうのです。
言葉の壁は低くなっている
考える力を身に付ける為に母国語をしっかり勉強することはもちろん重要です。でも、その言葉がふたつ以上ある必然性はないのではないでしょうか?
世の中には、バイリンガル・トリリンガル・マルチリンガルと呼ばれる人は本当に沢山います。言語がちょっと出来るという理由だけで引く手数多だろうと仮に信じているとしたら、それは時代遅れだと思います。
今やグーグル翻訳を使えば、簡単な文書なら瞬時に読める時代です。翻訳業・通訳業が完全にコンピュータに淘汰されるとは思えませんが、「言葉の壁」が以前と比べるとずっと少ないお金で解決できる問題になっていることは事実です。1時間5000円程度で買えるスキルに囚われるのはもったいない。
このことを踏まえると、自分の置かれた状況(生まれた場所、両親の国籍など)故に感じてしまう、なんとなく正しい気がしてしまう「使命」を無理に果たすこともないと思うのです。それは、例えば、自分のアイデンティティー・ルーツと言語を切り離して考えるという選択肢がもっと広まっても良いのではないかということです。
私の願い
親子とはいえ、育った時代が違います。国際児なら環境もかなり違います。しかも、とても多様で複雑です。自分のルーツが4つ以上あって、それらの国と全く関係ない場所で生まれ育つ子もいるような時代です。家族間で母国語や文化が違うこともあります。要するにまったく違う影響を受けながら大人になるわけですから、自分の子どもが感じることを理解できないこともあるでしょう。でも、それを枠にはめこまず、カテゴライズできないものとして捉えて欲しいのです。その子が感じることを全面的に信じて欲しいのです。そして、その気持ちを追求して欲しいのです。
もし今15歳の私に会えるのであれば、「わけもなく惹かれるものをもっと大事にしなさい。勉強だけが全てじゃない。」と言いたい。私が「あの頃、どうして誰も私の好きなものは何かと尋ねてくれなかったんだろう?」「あの頃、どうして私が将来の夢を持てないことを問題視してくれなかったんだろう?」「あの頃、どうしてもっと私の気持ちを聞いてくれなかったんだろう?」という、誰が悪いわけではない、行き場のない憤りは、周りの大人の期待という枠にはめ込まれてしまったことで生まれたものです。
私は、世の中がもっとフラットになってほしい。
世の中がもっとフラットになれば、もっと多様な人が世界に出て行くようになるのではないでしょうか?出てゆきたい人が出てゆく、ただそれだけだからです。それが、結果的にはグローバルになることを求められているこのご時世で、この国が生き延びていく上でも必要なことのひとつだと思うのです。
「周りの大人の期待に応えようとする子ども」は国際児に限りません。実は、普遍的な問題です。その中で私は思い入れのある国際児たちの生きづらさをなくしたい。その為に今の私には具体的に何ができるんだろう?と悶々としている日々を過ごしています。このブログも誰かの気持ちを少しでも楽にする手助けとなれば、と願って。
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