徒然北陸旅行記〜昆布ロード編〜

いざ、富山へ・・・!

前回の記事でも触れたように、友人の守谷あゆ子ちゃん(ayuko322)の富山滞在に便乗する形で始まったこの旅行、知的好奇心が最高に満たされる旅となった。今回は「新庄エリア」と「岩瀬エリア」を観光した。

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目次

富山の薬商人の成功の秘密とは?

富山といえば、置き薬が有名だ。江戸時代、売薬さんと呼ばれる商人たちが全国22のグループに分かれて売り歩き、それが富山藩の一大産業となった・・・。それにしても、長年疑問に思っていたことがある。遠い親戚にその昔薬種商を営んでいた家があり、聞くところによると、かなり高貴な身分の方とテニスを一緒に楽しむこともあったらしいのだ。今回訪れた金岡邸売薬博物館の金岡家も明治天皇が北陸巡幸の際にお寄りになったという。なぜ富山の薬種商たちはそれほどまでに栄えたのか?

(写真:金岡邸正面)

その答えは昆布ロードにあった

食べる昆布の道である。シルクロードならぬ昆布ロード。初めて聞くワードだった。簡単に説明すると・・・中国(当時の清の国)では甲状腺障害が流行っていた為に昆布を求めていた。ところが、中国の海では昆布は取れない。「昆布を手配しましょう」と名乗り出たのが財政をなんとかして立て直したかった薩摩藩(琉球を介して(密)貿易→借金地獄から解放→軍事資金も蓄える)。しかし、薩摩でも昆布は取れない。良質な昆布は北海道の冷たい海で取れる。ここで北前船の登場だ。富山藩岩瀬エリアの廻船問屋が北前船で北海道の松前まで昆布を買い付けに行き、薩摩まで運んだのだ。富山藩はその見返りとして中国から輸入するしかなかった薬の原材料を求めた。それまでは値段が高い長崎や大阪の薬酒問屋を通すしかなかったのだ。ここで皆の利害が一致したのだ。結果として、薩摩藩は財政を建て直し、富山藩も大いに潤った。

(写真:昆布ロード)

昆布ロードについてもっと知りたい方はこちらの記事が分かりやすくておすすめです。
>昆布ロードがもたらした明治維新と食文化

薬種商や廻船問屋たちの功績

莫大な資産を築き、資産家として力のあった薬種商や廻船問屋たちは、金融機関や教育機関など広い分野に投資し、産業や人材育成に貢献している。

金岡家

初代又左衛門は政治家として、北陸電力の前身となる会社などを興し、そのエネルギー産業を基礎に多くの産業を誘致している。富山の経済基盤のたたき台を作ったと言える。2代目は、第一薬品株式会社・富山第一銀行の前身を設立。3代目は、テイカ製薬株式会社や富山女子短期大学を創立。5代目は、富山計算センター(今のインテック)と富山国際大学を作っている。6代目当主は、北大教授、日本薬学会頭、日本学術会議第七部長、富山国際学園理事長、富山短期大学学長、富山国際大学長などを歴任し、第一薬品をテイカ製薬へ合併。大変興味深いなぁと思ったのが、初代以外は(私の記憶が正しければ)入り婿であることだった。こうして素晴らしいDNAが脈々と受け継がれていっているのだろうか。

>金岡邸売薬博物館公式ページ

馬場家

その他に感銘を受けたのが、富山大学の前身にあたる旧制富山高等学校創設に向けて多額の寄付をした馬場はる(1886〜1971)の行動だ。元々旧家の出身で、岩瀬の旧北前船廻船問屋である馬場家の妻。富山名誉市民の称号を贈られた最初の女性だ。

当時の富山には高等教育機関が少なく、実質的に他県に進学せざるを得なかった。経済的負担も大きく、人材流出をも意味する。地元に高等教育機関が誕生することは人々の悲願でもあった。そこで、1923年の皇太子(後の昭和天皇)成婚記念を機に寄付することを決意。聞くところによると、馬場はるの息子も東京(慶應義塾に進学するのだが、受験勉強に苦しんだそう)へ出さなくてはならず、他人事ではなかったのだろう。

さらに、ラフカディオ・ハーンと直接的に関係がない富山大学に国内最大規模のハーンコレクション(ヘルン文庫)があるのも、馬場はるの寄付で小泉家の蔵書を買い取ったからなのだ。彼女はその生涯で私財160万円(現在の百数十億円)を投じている。こうしたスピリットが富山の学力の高さ(全国学力テストの結果に基づく)に通じているのだろうか・・・?

>旧馬場家住宅主屋

(写真:馬場家&さりげなくあったイサム・ノグチが書いた漆の器!)

とろろ昆布おにぎりの謎

もうひとつ、素朴な疑問があった。海苔弁ならぬとろろ昆布弁当とか、おにぎりをとろろ昆布で巻く食べ方、私はすごく好きなのだが、聞いてみると(少なくとも関東では)あまりメジャーな食べ方ではないらしい。我が家だけなのか、それとも北陸の食べ方なのか、特にリサーチせずにいたのだが・・・昆布ロードの存在を知った瞬間にさまざまな小さな疑問がみるみるうちに晴れていった(とろろ昆布おにぎりに至っては富山のソウルフードらしい!)。それが感動的ですらあって、しばらく会う人会う人に「昆布ロードって知ってる?」と語ってしまったほど(笑)

農林水産省の調査によると富山県は昆布の年間消費量が長年トップの県。どうやら、北前船が立ち寄った中継地点は全国的に見ても昆布を使った郷土料理が多いらしい。沖縄も魚介の消費量に対して昆布を使った料理(豚肉と昆布の組み合わせなど)が多いのも納得した。面白い繋がり。

ついでに・・・世界一美しいスタバへ

世界一美しいとも言われたスタバにも寄ってみた。想像していたよりも空いていたし、とっても気持ちのいい場所だった!夏には富山の山の方も行ってみたいなぁ〜・・・

 

 

 

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この記事を書いた人

ドイツ生まれ・育ちのラジオパーソナリティー ・マルチリンガルMC ・通訳。27歳で日本に移住。現在TOKYO FM・JFN・NHK Eテレ(「旅するためのドイツ語」)にレギュラー出演中。

今までに勉強した言語は、日本語・ドイツ語・英語・ラテン語・フランス語・スペイン語・韓国語・中国語の8ヶ国語。

ペンギン・猫・映画 ・DIY・どら焼きが好き。

FM BIRD所属。

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