ページが見つかりませんでした – 〜ゆっくり急ぐ Festina Lente〜 https://erinawataya.com 〜ゆっくり急ぐ Festina Lente〜 Sat, 16 Apr 2022 06:19:03 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.9.3 https://erinawataya.com/wp-content/uploads/2021/10/7af3912a55725e6193304e2c121f94d9-100x100.jpg ページが見つかりませんでした – 〜ゆっくり急ぐ Festina Lente〜 https://erinawataya.com 32 32 デル・トロ監督新境地に挑む⁈−映画『ナイトメア・アリー 』感想・ネタバレ・考察 https://erinawataya.com/2022/03/12/nightmarealley/ Fri, 11 Mar 2022 19:00:00 +0000 https://erinawataya.com/?p=2213

人が人でなくなる理由はいつだって人。であるならば、人たらしめるものは何か。人間の条件とは?この問いが観る者の思考を始終支配する。「ああ、この人は堕ちていく・・・」待ち受けている結末には絶望しかないのに2時間30分、スクリ […]]]>

人が人でなくなる理由はいつだって人。
であるならば、人たらしめるものは何か。人間の条件とは?
この問いが観る者の思考を始終支配する。
「ああ、この人は堕ちていく・・・」
待ち受けている結末には絶望しかないのに
2時間30分、スクリーンから目が離せませんでした。

作品について

『シェイプ・オブ・ウォーター』でアカデミー賞4冠に輝いたギレルモ・デル・トロ監督による一部で最高傑作とも評されるサスペンス・スリラー作品。第94回アカデミー賞においては作品賞、美術賞、衣装デザイン賞、撮影賞の4部門にノミネートされています。日本では2022年3月25日より全国公開予定。

原作は、ウィリアム・リンゼイ・グレシャムが1946年に発表した『ナイトメア・アリー 悪夢小路』という、作家の自叙的要素も入ったノワール小説。ショービジネスでの成功を夢みる青年が、その野心とカリスマ性を武器にトップショーマンに昇りつめ名声を手に入れるも、過去のトラウマから人を信じず、傲慢で何度も人を騙し裏切り、ついには運から見放されてしまう物語です。

オフィシャルサイト「ナイトメア・アリー

キャスト

スタントン・カーライル:ブラッドリー・クーパー
リリス・リッター博士:ケイト・ブランシェット
モリー・ケイヒル:ルーニー・マーラ
ジーナ・クランバイン:トニ・コレット
ピート・クランバイン:デヴィッド・ストラザーン
エズラ・グリンドル:リチャード・ジェンキンス
クレム・ホートリー:ウィレム・デフォー
ブルーノ:ロン・パールマン など

余談ですが、最近私が面白いと思った映画という映画にウィレム・デフォーが出演していて、本当に多彩な俳優だなぁと驚いています!(フレンチ・ディスパッチにも、スパイダーマン ノーウェイ・ホームにも出ていて、同一人物とは思えない・・・)

デル・トロ監督、新境地に挑む

この映画の特徴をひとつ挙げるとすれば、デル・トロ監督と言えば!な超自然的フィクションがないところ。ファンシーでおとぎ話のような要素はありますが、基本はハードボイルドな犯罪劇であり、また完璧なまでの因果応報の物語です。運命と人間性をテーマにした物語を撮りたいという気持ちがずっとあったそうで、プロダクションノートに書いてあるプロデューサーのJ・マイルズ・デイルの言葉には「本作の大きなテーマの一つは『人は自分を超えられない』ということだ」とあります。また、サプライジングな最後を用意するのではなく、初めから分かりきっている最後をどう説明するかを大事にした、とのこと。

映画化は2度目

1947年にエドマンド・グールディング監督によって『悪魔の往く町』として映画化されているので、デル・トロ監督による2度目の映画化ということになります。映画のリメイクというよりは、原作を現代的に再構築することに注力して、ストーリーは1940年代を中心に展開するものの(衣装やセットもレトロで素敵!)、撮影はデジタルで行われ、深度にこだわったそう。

ストーリー(ちょっぴりネタバレ)

時は1939年、アメリカ。過去とはすっぱりと決別し、人生を新しくスタートさせたい流れ者スタントン・カーライル(以下スタン)は巡回中のカーニバルの呼びこみに誘われ、そこで衝撃的なショーを目にする。”獣人(ギーク)ショー”である。当然獣なはずもなく人間であることは分かっているのだが、なぜ、人間とは思えぬことを人前で披露するのか・・・驚きを隠せない(後にその具体的なギークを産む方法を知り絶句する)スタンだが、仕事も住む場所もない中、カーニバルのマネージャー・クレムに仕事をもらい、一座の一員となる。

カーニバルでの仕事にも慣れてきたスタンは、かつては”幽霊ショー(Spook Show)”で一世を風靡したという読心術師の夫妻、ジーナとピートと親しくなる。そして、決して悪用してはならないとした上で基礎的な技を伝授してもらう。というのも、霊媒師を名乗り善良な人々を騙し続けることへの罪悪感からピートは酒に溺れるようになり、やっとの思いで日々を過ごしているのだ。同じ失敗をしてはならない、道を外してはならないと繰り返すジーナとピート。

しかし、上昇志向が強いスタンがそれを守れるはずがなかった。自分はピートと同じ轍は踏まない、自分は違うと確信してしまう事件が起こるのだ。ある日、人や動物の扱いに問題があるため即刻閉鎖を要求する警察が乗り込んで来る。さらに衣装が卑猥であるとして公然わいせつ罪でモリーを逮捕するというのだ。このモリーは、カーニバルの中では純真な穢れなき乙女、みんなのアイドル的な存在である。当然スタンも彼女に好意を抱いている。そして、ピートに教わった読心術で警察官の秘密を言い当て、モリーと一座を救うのだ。この経験が全能感を彼に与えてしまう。折りしもピートが死んでしまった日のことだった。

自分を救ってくれたスタンに感激し、彼に自分の人生を捧げる決心をしたモリー。二人はサーカスを離れ、2年後には一流ホテルのステージで上流階級の人々を相手に読心術を披露するショーチームになっていた。観客の持ち物を、モリーが送る言葉の合図をヒントにスタンがずばり当てるという、師匠の教え通りのスタイルである。大成功を収め、ホテルのスイートルームで生活する二人。まさにアメリカン・ドリームを実現したわけだが、更なる野心に燃えるスタンとは対照的に戸惑うモリー。もやもやしながらステージに立つと・・・二人のトリックを早々に見抜いた女性にバッグの中身を当てるように迫られる。

ここで失敗したらこれまでに築き上げた信用が崩れてしまう・・・!絶体絶命のピンチかと思いきや、スタンは持ち前の観察眼で乗り越えてしまう。これが、彼が自分の才能に酔いしれ、破滅へ向かわせる出来事なのである。この事件をきっかけに、トリックを見抜いた女性、心理学博士リリス・リッターとビジネスパートナーとも取れる関係を持つ。(イカサマ)霊媒師ビジネスは上流階級の間で評判となり、ついには、権力者エズラ・グリンドルの目にも留まる・・・

ここから、スタンの転落まで二転三転、ちょっと予想外なことも起こるし、そこが一番興味深いので話の筋を追うのでこれくらいにしておきます。

考察・ネタバレ

一人のオム・ファタールを巡る三人の強い女たちの物語でもある

リリス・リッター博士がスタンを破滅に向かわせたファム・ファタールであることは間違いないが、その逆も然り・・・というか、スタン自身が三人の女性の人生を狂わせたオム・ファタール(?)であるということ。しかしながら、一人の男に振り回されて終わるのではなく、強く、正しく生き延びていく、そんな描かれ方をしているのも印象的でした。

ジーナ

まず、最初に親しくなる読心術師のジーナ。冒頭で彼女が新参者のスタンの若さ・たくましい肉体に惹かれるシーンがあります。二人が恋愛関係にあったかどうかはっきりとは描かれていませんが、ロマンスがあっても不思議ではない。夫のピートも自分自身が酒に溺れ、ジーナなしには生きていけないことに負い目を感じている部分もあるので、そうしたことがあっても黙認していたのでは?ただし、ジーナ&ピート夫妻は、酸いも甘いも共に経験し、深く愛し合っている夫婦であることも間違いない。だからこそ、二人でスタンに自分達が編み出してきた安全な技だけを教え、決して悪用してはならないと繰り返す、まるで両親のような存在でもある。

ジーナはピートを失う。それがスタンのせいとは言い切れないが、もやもやとする描写がある。ピートは自分が編み出してきた読心術の全てを記した一冊のノートを肌身離さず持っており、そこには悪用したら大変なことになる秘密も書かれているという。スタンはその中身を知りたくて仕方がない。ある晩、二人が会話をしている間に寝落ちしたピートからノートを拝借して中身をみようとするのだが、失敗する。ピートは激しく注意をした後、お酒を持ってきてほしいとスタンに頼む。そして、翌日、そのお酒を飲んだピートは帰らぬ人となる。そのお酒はマネージャーのクレムが管理しているもので、ショーで使う飲めないもの(メタノール)と、飲むためのものと2種類があり、スタンがそれを分かった上で意図的にメタノールを渡したのか、事故だったのか、ノートに書かれた秘密の為に無意識的にやってしまったのか・・・?観客の判断に委ねられいる部分なのでしょう。

スタンはピートのことをおそらく慕っていたし、死んでほしいとはまでは思っていなかったと思います。また、モリーという若くて可愛いターゲットがいたので、ジーナを自分のものにしたかったわけではないはず・・・だから、意図的に猛毒を渡したわけではないだろう・・・と信じたいのですが、翌日、サーカスを離れる時にジーナの元へ行き、ピートのノートを見せて、これは返すべき?と尋ねるのです。そんな首尾よくノート手に入れてるの?!とちょっと驚いたし、ジーナは諦めの表情を浮かべながら、送り出します。

後日再会した際にタロットで逆位置の愚者(※)が出たので、彼を止めようとするのですが、彼女にはその力はありませんでした。(※自分の無計画で無責任な行動が周りの人たちに悪影響を与え、自分自身も貶めることになるという暗示。) 

モリー

自分を絶体絶命のチャンスから救ってくれたヒーローですから、吊り橋効果で恋に落ちてしまうのは自然な成り行きと言えます。彼の言う通りに働き、献身的に支えます。健気なところもあり、彼がリリス・リッター博士に心惹かれていることに気が付いても咎めず、こっそりと古巣の仲間に電話しては「うん、上手くやってるわ」と涙を流しながら自分を慰める姿には胸が痛みます。

ただし、彼女は芯の強い女性でもあることが終盤分かります。インチキ霊媒師ビジネスが本格的にやばい方向に進みそうになった時、スタンに「私はいつだって自分の限界をわかっているの。」とサーカス時代の自分の話を出し、スタンのやっていることは間違っているとはっきりと伝えます。それでもこれで最後だからと巻き込まれて恐ろしい目に遭うのですが・・・最後にはスタンを見捨てて去っていきます。彼女がどこに行くのかは分かりません。カーニバルにまた戻るのかもしれないし、違うかもしれない。彼女は若さと正しさの象徴であり、また帰る場所がある人なのだと思います。

リリス・リッター博士

彼女に関しては、スタンの被害者という要素はあまりないですが、強いていうならば、関わらない方が良いことは百も承知で、彼の心の闇に心理学博士として興味を持ってしまったことや、自分の正義のためにかなり危ない橋を渡ってしまったところ、といったところでしょうか。

リリスは過去に権力者エズラ・グリンドルにひどい仕打ちをうけています。なかなかの切れ物であると踏んだスタンを通して仕返しを目論んでいたのか・・・?それにしても、二人が繋がっていることが明るみに出れば、次は命がないことだって分かっていたはず。そう思うとスタンと出会ってしまったことで彼女の運命も狂ってしまった、とも言えます。

リリス・リッター博士がスタンにとった行動の謎

この物語の最大の謎です。答えがないからこそ、考えるのが面白い部分!

仮説その①ショーで自分のバッグの中身が見破られ、恥をかかされたことを許せないから。

うーん。彼女の挑発は、一種の試験だったはず。スタンがうまく切り抜けられなくても「その程度のテクニックしかもってないのね」で済むし、うまく切り抜けたことで「なかなかやるわね」と良い人材をみつけられるわけですから、どっちに転んでも良いことしかないはず!そんな小さなことを気にするタイプにも見えません。

仮説その②リリスはグリンドルに対して仕返しをしたかったから

これはモチーフとしてはゼロではないと思います。元々患者だったグリンドルに何がどうなって傷付けられたのかは分かりませんが、体のひどい傷跡を見る限り、壮絶な痛みを伴ったはずです。あまりにも理不尽です。しかも、被害者は彼女一人ではなく、もっといるらしい・・・とはいえ、そんなグリンドルを攻撃するのは一筋縄ではいかない。顔バレ・身バレしている自分が直接手を下すわけにもいかない・・・。そこで精神科医として知ったグリンドルの唯一の弱みである若い頃の恋人(故人)の存在を使って、なんとか懲らしめる方法を考えていたところにスタンのことを知った。そして、彼をイカサマ霊媒師に仕立て上げた。

ここまではわかるとして、スタンを騙す必要はなかったのでは?

仮説その③精神科医として実験したかったから

話が進むに連れどんどんダークになっていくのですが、リリスはスタンに協力的な姿勢を見せつつも巧みにコントロールしていきます。例えば、精神分析をしていくうちにスタンの弱点は酒であることに気付き、頑なに酒を口にしないスタンをそそのかします。

というのも、スタンが実質的に殺してしまった父親はアルコール中毒で、母親に見捨てられてしまいます。そんな父親を彼は心底軽蔑していたのです。また、読心術の師匠となるピートもアルコールに溺れ、手を下すつもりはなかったかもしれませんが、その部分は蔑んでいたかも。自分は酒を口にしないから同じ過ちは犯さないという過信もあったのでしょう。俺は酒は絶対に飲まない、と「絶対 never」がやたらに出てくるので観ている人も気になるポイントだったかと思います。そして、心的負荷のせいなのか、スタンはあっという間にお酒に飲まれてしまいます。そこから転がり落ちるのはあっという間。正しい判断はできなくなっていきます。

劇中でリリスはスタンに対し、成り上がり者であることを非難するシーンがあります。時代背景を考えると・・・まだまだ階級社会で、女性が活躍するのが困難だったはず。ひょっとしたら、リリスは”わきまえない”スタンに対して嫌悪感を抱いていたのかもしれません。

自分の方が一枚上手だと思っていたのに、実はリリスの手の上でずっと踊らせていたことに気が付いた時の絶望感。さらに自分が世界で一番執着していたお金をも巻き取られて、自分をコントロールできなくなるスタンは闇に消えてしまうのです。

スタンと父親の関係

親子関係は、映画全体を通してひとつのテーマで、至る所に伏線があります。例えば・・・ジーナ&ピートが読心術の稽古をつけている時に「(占いに救いを求めている人なら大概)男なら父親、女なら母親との問題を抱えているものだ」とし、このような普遍的なモチーフを熟知した上で、小さなヒントを手がかりに情報を手繰り寄せるのだと説いています。

スタンも先述の通り、酒に溺れて母親に見限られた父親のことを心底軽蔑し、最後には彼を死に追いやり、家ごと燃やしてしまいます。その際に父親が肌身離さずつけていた腕時計だけは持っていくのですが… 一番大切にしていたものだから奪い取ってやった、ということなのかもしれませんが、そこはやはり執着なのだろうと思います。母親という存在を渇望する心と、息子の自分の方を向いてくれない父親への憤り、寂しさ・・・それらを紛らわせてくれるのが観客の拍手であり、成功、お金だった。

スタンの最大の不幸は、両親のように見守ってくれたジーナ&ピート夫妻、献身的に支えてくれたモリーの愛情を理解できなかったところにあると思います。幼少期に受ける(主に両親からの)愛情が、その後の人格形成に大きく影響するとはいえ、大人になってからだって愛してくれる人はいるのになぁ・・・だとか、それを受け取れるかどうか(それを若いうちに練習できているかどうか)が人生を左右するのだなぁ・・・そんなところに普遍的な人間という生き物の葛藤を感じたり。

イーノックが意味するもの

最後にイーノックの存在にも触れておこうと思います。イーノックと名付けられたのは、カーニバルのマネージャー・クレムのテントの中にあったホルマリン漬けにされた三つ目の胎児。大きなガラスのジャーに入っていて、その悪趣味でグロテスクさに少なからずショックを受けるだろう(デル・トロ監督らしい演出ではありますが)。母親は出産と同時に命を落としたのだと言う。クレムは、この胎児の目がどこから見ても自分をみつめているような、不気味なところが気に入っている。

ちなみに・・・イーノックは聖書にも出てくる人物である。ちょっと調べてみたところ、ノアの方舟でよく知られるノアの曽祖父にあたり、ヘブライ語では「神に従うもの」という意味があったり、また彼の死に関する記述がないことから「神と共に歩くもの」「神に連れて行かれたもの」と呼ばれているらしい。

それらを踏まえてスタンとのクロスオーバーを考えてみると・・・まず、親の命を奪ってしまった過去が挙げられる。そして、イーノックがガラスジャーに閉じ込められているように、スタンもその過去から逃れることはできない、囚われの身である。更にラストシーンで・・・父親の腕時計も酒のために二束三文で売り、一文無しで悪臭を放つほどボロボロのスタンが新しいカーニバルマネージャーの元へ仕事を求めて訪ねると・・・そこには、かつて自分がクレムに5$で売ったラジオとイーノックが隣り合わせで飾られている。彼らは神に連れて行かれた者同士なのだ。運命を自分では操れない。それを観た瞬間に観客は全てを理解し、そして、分かりきった結末を固唾を飲みながら待つ。デジャブだ。

『君に仕事を与えよう。その・・・本物のギークがみつかるまでの一時的な仕事なんだ』
「Mister… I was “born” for it.」(私はその為に生まれました。)

関連書籍など

扶桑社
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古い方が↑。映画公開に合わせて出てるのが↓。

著:ウィリアム リンゼイ グレシャム, 翻訳:柳下 毅一郎
¥1,100 (2022/03/12 17:37時点 | Amazon調べ)
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アンカレッジ経由と冷戦 https://erinawataya.com/2022/03/08/viaanchorage/ Mon, 07 Mar 2022 21:54:18 +0000 https://erinawataya.com/?p=2223

週末、久しぶりにドイツの母と電話で話した。いろんな話をした。とりわけウクライナで起こっていることにはとても心を痛めていて、二人して、電話口で泣いてしまった。直接的に何かあったわけではないけども、それでも、いろんな顔が思い […]]]>

週末、久しぶりにドイツの母と電話で話した。いろんな話をした。とりわけウクライナで起こっていることにはとても心を痛めていて、二人して、電話口で泣いてしまった。直接的に何かあったわけではないけども、それでも、いろんな顔が思い浮かぶし、なんとなく、心の距離が近いのだ。思っていた以上に。

ベルリン人も似たような感覚を持った人が多くいて、想像通り、ウクライナから辿り着いた人々のステイ先として自宅を提供する人がたくさんいる。共に長旅を頑張ったわんちゃんたちの居場所も。この15年で物価も上がり、経済的にも大分豊かになって街は変わってきたけど、隣人に優しく、自分にできることを淡々とするところは変わっていない様で、それが妙に嬉しかった。不思議だけども。

反対に遠くなってしまったのがドイツだ。物理的な飛行距離が伸びてしまった。今でこそデフォルトルートだが、ロシアの上空を飛べるようになったのは冷戦が終結後のことで、それ以前はご存知のとおり、アンカレッジ経由の便が多かった。それが暫定的に(?)復活する可能性があるとして「懐かしの・・・」といったヘッドラインを多く見かけた。

私はというと、ぎりぎり覚えていない(懐かしめない)年齢なのだ。0歳児で一時帰国した時のことは当然覚えていないし、それ以来、実はアンカレッジ経由の飛行機に乗っていないらしい。いや、乗るはずだったのだが、母がこんな思い出話をしてくれた。なぜか今まで知らずにいた、かといって特別な何かがあるわけでもない、旅の思い出。アンカレッジと聞いて思い出すのだそう。

1989年12月。母は3歳の私を連れて一時帰国する予定だった。ところが、直前になって高熱を出してしまい、出発日を変更した。ちびっ子の発熱なんてよくある話だ。

ところが、我々親子が乗るはずだった飛行機(アンカレッジ経由成田空港行き)が、堕ちたという知らせが旅行会社に入って来たのだと言う。幸い、それは誤報であることがすぐに判明し、乗客もクルーも全員無事だった。とはいえ、墜落寸前の事故である。どうやら、その飛行機が着陸態勢に入った後、前日に噴火したリダウト山からの火山灰でできた厚い雲の中を通過していると、火山灰がジェットエンジンの中で溶けて付着し、エンジンが過熱で自動停止。14,000フィートも急降下したらしい。全員が無事だったことは奇跡とさえ思えるような話である。しかも、聞くところによると、この飛行機には子供だけで帰国する受験生も多く乗っていたそう。日本に到着するまで、どんなに心細かっただろう…。まだ熱っぽい3歳児(そしてその母親)にとってもかなりタフな旅となっていたに違いない。予知夢ならぬ予知熱が知らせてくれていたのかもしれないと家族の間では語られていたらしい(初耳)。

話はまだ終わらない。続きがある。

今度は無事に出発の日を迎えた。飛行機の扉もしまり、キャビンアテンダントの挨拶が始まると・・・「この飛行機はアンカレッジを経由する予定でしたが、火山灰の影響を受ける可能性がある為、モスクワを経由することになりました」というアナウンスが!!困惑した声が至る方向から漏れ聞こえてくる。

乗客がざわつくのも当然だろう。なにせ、時は1989年12月。冷戦が終結した当月の出来事である。ほんのちょっと前まで渡り鳥ですら撃ち落とされると言われていたロシア上空を飛んだ経験がある人はほんの数人。大多数の人にとっては未知なる世界だ。母もよほど緊張していたのか、給油中にモスクワの空港で降りたのかすら思い出せないらしい。さすがに空港を見ていたら覚えていると思うから、機内で待機してたのではないかと推測している。火山灰は免れたが思い出深い旅になることはどうやら約束されていたらしい。

もちろん、何事もなく成田空港に到着した。もう1つだけ誤算があったとしたら、ロシア上空を飛んだことによる時短効果が絶大で、車で迎えに来てくれる予定だった祖父が全く間に合わなかったそうだ。携帯もまだそれほど普及してないような時代に連絡が取れたということは、家を出発すらしていなかったはずで、片道3時間程かかっていたから… これはなかなかインパクトがある数字である。

それにしても、もし、当時私が大人として体験していたとしたら・・・それはそれは感慨深かっただろうなあ…。多分。その時は何も分かっていなかったし、私自身も覚えてもいないけど、母の話を聞きながら、想像空間で追体験していた。それなのに、その空を今は飛べない。

次にドイツに里帰りする時はどこを経由することになるんだろうか。その時は、いつもみたいに値段ではなく、空で選んでみようかな、そんなことを思ったのだった。一日も早く平穏な気持ちを取り戻せる日が来ることを願いながら。

因みに…リダウト山の火山灰による飛行機トラブルはネットにもいくつか記事が残ってました。この記事は搭乗していた人の声を拾っているという意味で貴重な記事。

https://web.archive.org/web/20160303221900/http://www.heraldnet.com/article/20100418/NEWS02/704189878

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野口健 トークセッション with ヒロシさん 〜コスモ アースコンシャスアクト 〜 https://erinawataya.com/2022/02/12/cosmo2022/ Sat, 12 Feb 2022 09:40:07 +0000 https://erinawataya.com/?p=2189

アルピニスト野口健さんが、地球を舞台に第一線で活躍するフロントランナーをゲストに迎えてのトークセッション。毎回ゲストとの化学反応が楽しみなイベントです。昨年に引き続きイベントMCを拝命しました!トークショーの様子を映像に […]]]>

アルピニスト野口健さんが、地球を舞台に第一線で活躍するフロントランナーをゲストに迎えてのトークセッション。毎回ゲストとの化学反応が楽しみなイベントです。昨年に引き続きイベントMCを拝命しました!トークショーの様子を映像におさめたビデオポッドキャストをコチラからご覧いただけます。(無料)

今年のゲストは、芸人であり、ソロキャンプしている様子を投稿した動画が人気を集め、「ヒロシちゃんねる」登録者数は現在114万人というYouTuberでもあるヒロシさん。更に昨年はキャンプブランドNo.164を立ち上げ、活動は多岐に渡ります。

初対面のお二人。それぞれ寡黙なイメージをお持ちだったようですが、思っていたよりもよく喋る!とお互いに仰ってました(笑)蓋を開けてみると共通の話題がどんどん出てきてトークは止まらないし、実は性格も似ているところがあるのでは…?と感じる瞬間も…!

ふたりの共通点「妄想」「自然の中」

何かを成し遂げるために必要なこと、お二人が口を揃えて仰ってたのが「妄想」でした。これが実現したらなりたい自分に、理想の世界に、一歩近付けるに違いないと信じながら、淡々と妄想し続ける。そして、行動に移す。

「これやります!」「こんなことやりたいです!」と宣言をして、活動の輪を広げていく”有言実行”の野口健さん。芽が出るまではひっそりと始める”無言実行”のヒロシさん。アプローチこそ違えど、どうやったら達成するまで続けられるかにフォーカスしていて、向いている方向は同じ。諦めない性格とのことですが、そういう意味でも根っこの部分が似ているように感じました。

そして、自然の中に自分をみつけているという点もやはり共通していましたね。中でも話し足りなさそうだったのが焚き火トーク!今や、自分の山でも所有しない限りできないんだそうです(知らなかった!)。火を見つめている時間の愛おしさ、そして、雨の日をテントの中で過ごすのも良いよね、などなど・・・。私はガールズスカウト時代、雨のキャンプでは延々とナメクジをテントの外に放り投げた記憶しかありません(笑)触るのは抵抗ないのですが楽しくはなかった・・・読書も全然進まなかったよー・・・と思いながら、リベンジしたい気持ちも沸々と。

もうひとつ、私の中で気付きだったのは・・・やりたいことをどんどん形にしていく努力を惜しまないお二人でも、無理をしないことも徹底しているなぁ、というところ。自分の中の限界点をよく把握されているというか、自然の力に逆らわないというか・・・それも自分らしく生きていくコツなのかもしれません。

ヒロシさんの本を読んで

今回、ゲストとしてお迎えするにあたり、ヒロシさんの本を2冊「働き方1.9 君もすきなことだけして生きていける」「ひとりで生きていく」を読んでみました。

働き方1.9  君も好きことだけして生きていける

テレビというメディアから距離を置き、大好きなソロキャンプをしながら成功したヒロシさんが、これからの生き方・働き方を4つの図解と30のフレーズで紐解いています。トークショーでも繰り返し仰ってたことにも繋がってくると思いますが、色んな妄想をして、好きなことや面白そうだなと思うことをとりあえずやってみて(”種を蒔いて”)、芽が出たらそれを伸ばせば良いというスタンス。無理する必要もないし、やるもやらないも全部自分で決める(”決定権を握る”)し、インターネット時代ならそれが可能だよ、と優しく背中を押してくれるような一冊でした。「ヒロシです」で大ブレイクした後、クライアントに求められることに応えるのが苦痛で蝕まれていった経験は、スケールは違うものの、多くの人が共感できる気持ちなはず。

そんな中でも私が一番ドキッとしたのは、この箇所。好きと得意の幸せ相関図、とも言えるかもしれません。

しかし、結論からいえば、その対象を本当に好きでないなら、やはり長続きはしないというのが僕の考えだ。(…)また、中には「得意である」そのこと自体は好きだが、その理由がその対象を好きだからというより、得意なことを披露することで周りの人に褒められるのが快感である場合もあるだろう。(…)これなども挫折しやすい。なぜなら、そのような人は、要は他人から評価されるのが好きなだけで、評価されない時には挫けやすいからだ。コツコツとやり続けるには、やっぱり「ただ好きである」しかない。下手の横好きこそ正解なのだ。

働き方1.9  君も好きことだけして生きていける p.161−162

自分に当てはめてみると・・・どうしても、ものすごい努力をしなくても人よりもちょっとだけ得意なこと、得意な人が比較的少ないから褒められること、両親が喜んでくれること、世間的にニーズがありそうに見えるものなど・・・そっちに舵を切ってしまうところがあります。それ自体は悪いことじゃないし、むしろキッカケってそんな感じだったりするのでしょうけど、「評価されるから好きなのだと自覚していない状態」に気がついていない時の危うさってすごくあると思うんですね。わかっているのと、わかっていないのとでは、全然違う。

あと、これも・・・激しく同意。

よくインタビューで「そのホストの辛い経験があって今のキャラクターがあるのですね」「ホストやっていなかったら、成功はなかった?」と聞かれるのですが、そんなもの何の役にも立っていない。人生には経験しなくていいことがある

働き方1.9  君も好きことだけして生きていける p.80−81

人生に無駄なことはないとは言いますが(それもまた真実だと思っていますが)、それでも耐え難いほど辛い経験なんてしなくて済むならそれに越したことはないでしょう。普通に生きているだけで、誰しもが悩み憂い、もがきながら乗り越えているのだから、それだけでも十分です。例えば、私自身はいわゆる日系二世として育ったわけですが、それに伴うアイデンティティークライシスやバイリンガルにならなくちゃ病などは経験しなくて良いのならそっちの方が良い、と本気で思っています(笑)また、これは個人的な見解ですが、生きてきた時代も環境も違う若い世代に「自分たちの時は・・・」と苦労自慢をしたり、同じ苦しみを押し付けようとするパワハラまがいな話がなくならないことを思うと、全ての経験が人生を彩るわけじゃないよなぁ・・・としみじみ感じるのです・・・。

ひとりで生きていく

50歳の誕生日を目前にヒロシさんが「中年独身男の等身大の姿と言葉を恥ずかしげもなく晒し、本心を記した」という一冊。無駄な敵は作らず、自分が穏やかでいられる環境に身を置き(その為には逃げることも大正解)、他人に期待をせずに淡々と好きなことをやる・・・構成は似ていますが、働き方1.9はどちらかというとよりビジネス本要素が強く、こちらはもっとエッセイに近いというか、肩の力を抜いて”イージー”に読めました。大笑いしたのもこっち!

理想の死に方として、親しい人に看取られながら死んでいく、というイメージを思い浮かべる人も多いはずだ。(…)しかし、僕が嫌なのは、まさにこういう死に方なのだ。なぜなら、僕が今死のうとしているときに、事情を知らない小さい孫がはしゃいで走り回っているのをみたら、きっとへこんでしまうに違いない。「俺はこれから死ぬんだぞ!」と怒鳴りつけてやりたくもなる。意識が遠のく中、息を引き取る寸前に、「アンパンマンやってるからテレビつけて!」という孫の声を聞いたら、死ぬに死ねない。

ひとりで生きていく p.121

ヒロシさんらしい、ちょっとネガティブで、超具体的な妄想が爆裂していて思わず笑ってしまいました。さらにこのチャプターでは理想の最期が書かれているので、そちらは是非書籍を手に取っていただければ・・・私の口からはちょっと恥ずかしくて言えません(笑)それにしても、こうやって自分がどう生きていきたいのかをシミュレーションされているんだなぁ・・・私はなんにも考えてないなぁ・・・と振り返ったり、また、色んな妄想をする余白を担保するというのも大切で、それは2022年のマイテーマでもあるなぁと繋がりをみつけたり。強いていうなら、私自身は「ひとりで生きていく」の方が読後の余韻をより楽しでいたように思います。

書籍リンク

講談社
¥1,430 (2022/02/08 03:20時点 | Amazon調べ)
著:ヒロシ
¥1,359 (2022/02/08 03:19時点 | Amazon調べ)

コスモ アースコンシャス アクトとは

2001年より、コスモさんとTOKYO FMをはじめとするJFN38局がパートナーシップを組んで、「アースコンシャス~地球を愛し、感じるこころ~」地球環境の保護と保全を全世界に向けて呼びかけていくプロジェクトとして展開しています。そして、この活動は大きく分けると、3つの柱があります。

1つ目は、ラジオ番組 「コスモ アースコンシャス アクト 未来へのタカラモノ」
毎週、月曜から金曜までの毎朝、放送しています。

2つ目は、全国各地で楽しく清掃活動をおこなう「クリーン・キャンペーン」
昨年度と今年度、残念ながら中止となってしまいましたが、早く再開できますように!

そして3つ目が「野口健 トークセッション」
毎年、初対面!というワクワク感がたまりません。こちらも、無観客ではなく、リスナーの皆さんをお招きして開催できるようになる日が早く戻ってくることを願ってます。

コスモ アースコンシャス アクト ウェブサイト

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『GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?』にて https://erinawataya.com/2021/10/02/tadanori_yokoo/ Sat, 02 Oct 2021 06:13:28 +0000 https://erinawataya.com/?p=2162

東京都現代美術館で10月17日まで開催されている『GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?』展に行ってきました。 5歳から展覧会開幕3週間前(つまり85歳!)に描いたという絵まで、横尾忠則の一生とも言える、 […]]]>

東京都現代美術館で10月17日まで開催されている『GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?』展に行ってきました。

https://genkyo-tadanoriyokoo.exhibit.jp/より

5歳から展覧会開幕3週間前(つまり85歳!)に描いたという絵まで、横尾忠則の一生とも言える、15のセクションにわたる横尾ワールドにダイブイン。

作品の様式毎にセクションが分かれている。作風が信じられないくらい違って、まるで複数のアーティストの展示に行ったみたいだった。それでいて、同じモチーフが何回も何回も登場する。その対象は神話だったり、滝だったり、Y字路だったり… その自由奔放さに彼の問いを感じる。

美術手帖のインタビューでも語っているように、ニューヨークMoMaのピカソ展でピカソの自由気ままさに衝撃を受け、「やっぱり絵でないと僕の考える生き方はまっとうできない」と45歳で世界的グラフィックデザイナーをやめて、いわゆる「画家宣言」した横尾忠則。ピカソの画風に憧れたりはしていないそうだけど、でも、キュビズム的要素は強いから、多少の影響は受けてる気はする。

かの有名な滝の絵葉書のインスタレーションは、直島旅行した時に豊島横尾館で見たことがあった。横尾忠則と建築家の永山祐子による古い民家を改修して作られた展示空間で、平面絵画の他に、石庭と池、円筒状の塔にはインスタレーションが展開され、生と死を想起させるちょっと不気味で同時にパッション溢れる場所だった。赤い窓ガラスが印象的で、中に入る前に見ている風景のはずなのに必然的に気分が変わってしまう。それがシルクスクリーンとか、コラージュというか、アンディ・ウォーホールの作品を初めてみた時の感覚を思い出す。

そして、ここ東京で再びおびただしい滝の写真がタイルのように視界いっぱいに広がり、さらに床は鏡面になっているから段々と方向感覚が失われていくのを感じながら不安になる。違う場所で見ているのに、どうしてこうも普遍的なんだろう。きっと、これも彼の死生観を表現しているのだろう。まさしく横尾ワールド。

寝ても覚めても制作していないと描けないくらいの展示数に圧倒されながらも、一番印象に残ったのはY字路シリーズだった。これは、横尾忠則が子供の頃にかつて通った模型屋跡地を撮った写真に、彼の”個人的なノスタルジーを超えた普遍性を感じたことをきっかけに生まれた”らしい。

そして、これがこんな風に・・・日本中のY字路が編纂されていく。

ドイツにはあまりないY字路。東京に越してきて数年経つけど、びっくりするような所になんとも不恰好な建物が立っているのをみつけては、つい、未だにカメラを向けてしまう。何に惹かれるのか自分でもよく分からないけど、行き先が分かれているということの揺らぎとか、そのふたつの世界線を繋いでいる家がくれる一種の安らぎとか、なにせイマジネーションを掻き立てられる景色なのです。ほぼ日のY字路談義でみつけたタモリさんの言葉を借りるなら「居心地の悪い気持ちよさ」が私の心を掴んで離さない。

右と左で世界が緩やかに、しかし、確実に分かれている。自分の選んだ道と、選ばなかった道とで心が右往左往しそうな・・・リアルなんだけど架空のY字路が、景色のようでもあり、頭の中のようでもあり、中でもとっても気になる一枚があった。タイトルを確認すると「意志の彷徨」とあり、繋がっているなぁと思うとちょっと嬉しい。

そういえば、Y字路談義の終盤では、コンセプチュアルアートをやり尽くしたからこそ出る、アンチテーゼとも言える言葉が印象的だった。ドイツはコンセプチュアルの方が主流な気がするし、作家本人による言葉を求めている側面があるから、コンセプトを持ち込まないって言われちゃうと戸惑う。でも、そうかもなぁとも思う。

頭はコンセプトを持っちゃうけど、
体っていうのはさ、もうぜんぜん、
熱いとか冷たいかとか痛いとか痒いとか、
コンセプトでもなんでもないですよね。

ところが、頭というのは、ともすると
「あ、12時だ。おなかがへった」
とか考えたりする。
ほんとにおなかがへったかどうかも
わからないのに、そう考えるというのは、
コンセプトですよね。

Y字路談義。
横尾忠則・タモリ・糸井重里が語る芸術?より(2004年)

それと繋がっているかは分からないけど、今年のCasa Brutusによるインタビューではこうも言っている。

最近の絵には僕の考えはあまり導入してなくて、どちらかというと身体的なものを優先して手の動くままに描いた感じなんです。概念と対立するのが身体だから。

Casa BRUTUSより

展示の最後の大きなセクション「原郷の森」は新作が多く並んでいるのだが、これまでの作品と比べると色合いやタッチが柔らかく、明るい。思うがまま、体に負荷をかけすぎずに描いているような、そんな印象。寒山拾得など神話・伝承をモチーフにしているのは相変わらずだけど、ゆるりゆるり、気持ち穏やかに眺めていられる。モネの睡蓮をいつまでも見ていられるような、包まれるような気持ち。まぁ、トイレットペーパーとか便器とか首吊り輪が随所に登場してるんだけども(笑)

まだまだ横尾忠則の進化は続くように感じる、力強い展示でした。

関連するインタビュー記事など

横尾忠則にインタビュー! “85年”の画業を振り返る『GENKYO』の圧倒的空間。
『カーサ ブルータス』2021年9月号より

「怪人二十面相」のようにさまざまな顔を持つ「横尾忠則」という稀有な存在
TOKYO ART BEATより

「ピカソが僕を変えた」横尾忠則、ピカソを語る。
美術手帖より。

Y字路談義。ー横尾忠則・タモリ・糸井重里が語る芸術?
ほぼ日刊イトイ新聞より

気になる書籍

本を読むのが苦手な僕はこんなふうに本を読んできた」横尾忠則著
あれだけ多くの作品を生み出すエネルギー、創作の原点ってどこにあるのか、原体験以外にはどんなものがあるのか俄然気になってしまって。

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おかえり、私。 https://erinawataya.com/2021/08/11/after_olympia/ Wed, 11 Aug 2021 09:16:37 +0000 https://erinawataya.com/?p=2128

東京オリンピック閉幕。多くの人がオリンピックとは何かを問い、殊に開催国に住む人間として受けたインパクトは大きかったのではないでしょうか。ここに、極めて個人的な心境の変化について書き記しておきます。 故きを温ねて新しきを知 […]]]>

東京オリンピック閉幕。多くの人がオリンピックとは何かを問い、殊に開催国に住む人間として受けたインパクトは大きかったのではないでしょうか。ここに、極めて個人的な心境の変化について書き記しておきます。

故きを温ねて新しきを知らば以って師となるべし

 

私自身は、この大会でフランス語を使うお仕事を頂き、そして、今、無事に任務を終えて安堵すると同時に、新しい時代の匂いを感じています。別の表現をするならば、価値観が大きく揺らぎました。もう少し具体的に言えば、これは私の軸なんだ!とありのままに受け止められるようになったという意味で、マルチリンガルであることの呪縛からやっと解放されたような気がしたのです。

 

期待と絶望

 

言語はツールである。それ以上でもそれ以下でもない。これは、大学を卒業し、就職活動に苦戦していた時に直面した現実です。現地校に転入後、同級生に少しでも近付くために必死に勉強して、やっとの思いで少しは自信を持てるようになったのに、幼い頃に大人たちから聞いた話のようには私の人生を導いてはくれませんでした。なんだか、心が穴だらけのバケツになってしまったようでした。

 

そして、理解するのです。言語はその人の本質ではない、と。じゃぁ、私の軸ってなんだろう?私の主体性ってどこにあるんだろう?本当はやりたかったことってなんだろう?考える余裕すらなかったし、こんなに大事なことをどうして誰も教えてくれなかったんだろう?と憤りすら覚えたのです。

 

「言語の人」からの脱却

 

そこから、数年かけて、いくつか大きな目標を立てました。ひとつは、在京キー局でラジオパーソナリティーとしてデビューすること。誰に見せるわけでもないのに、ウィッシュリストに思い切って書いた時の緊張感や恥ずかしさは今でも忘れられません。

 

2018年にその夢は叶います。でも、夢は叶えた後の方が大事なんですよね。どんなラジオパーソナリティーになりたいか、どうやって価値のある人・唯一無二の人になれるのか、どうやって社会に貢献していくか・・・考えることは山ほどあります。

 

もうひとつの大きな目標が東京オリンピックに仕事で関わることでした。実は、メディアとして取材するとか、海外アスリートへインタビューするとか、そういうイメージでいたのです。

 

つまり、「言語の人(≒ツール)」としてではなく、「ラジオの人(≒本質?!)」として実績を積みたかったとも言えます。しかし、その形では関われそうな気配がなかったので、まぁ、仕方ないかぁと諦めていた矢先に、です。まさか、高校生の時に第三外国語として選択したフランス語が鍵となるなんて、誰が想像できたでしょう。

 

この経験が・・・選ばれた事実や、そこで出会った人がかけてくれた言葉が、私の価値観を揺るがしたのです。

 

新しい物差し

 

結局、若りし頃の私を絶望の淵へと追いやった言語たちに助けられているのです。ラジオの世界も、ドイツ語講座への出演も、オリンピックも繋げてくれたのは言語であり、ただのツールではなかったのです。

 

正確には、当時の私にはツールとしてしか使う能力がなかった、ということなのだと思います。魔法のようなもので、使い手が成長しないと機能しないのでしょう。

 

では、あの時と何が違うのか・・・?

 

ひとつは経験です。経験値が0だと、いくら掛け算しても0にしかなりませんが、0.01になれば話は変わってきますよね。そして、もうひとつは新しい物差しです。

 

8ヶ国語の素養があると言っても、ひとつひとつの言語の習得度にはバラツキがあります。また、より高い次元でマスターしている人がたくさんいることもよく知っています。しかし、物差しを変えてみると評価が変わり、別の世界が繰り広げられていることを目の当たりにしたわけです。

 

「才能は他者の中にある」

 

話は飛びますが、山田ズーニーさんは、著書『おとなの小論文教室。』で養老孟司さんの言葉を受けて「才能は自分の中になく、他者の中にある」と考えてみたらどうだろうか?と投げかけています。(p.115)

 

例えば、今回のフランス語も厳しい審査を突破して選んで頂いたそうですが、自分の物差しで測ると大したことなくても、基準が変われば十分に価値がある可能性があるということです。それはまたひとつの現実として受け止めるべきです。現実はひとつだけではないのですから。

 

え、今更?と思った方もいらっしゃるかもしれません(笑)しかし、私自身で言語は自分の血肉であると認められない限りは、代替え可能な産物でしか有り得なかったと思えてならないのです。

 

再構築

 

言語(多言語・多文化・多国籍)は、あなたを孤独な無人島に流す船になってしまうことがあります。残念ながら、この真実はあまり多く語られません。でも、この世の中を航海する船でもあるはず・・・!今後、綿谷エリナとして考えていきたいのは、その分岐点や相違点です。もちろん、希望も!

 

言語ってツールだけじゃないならそもそも何だろう、何を学んでいるのだろうという問いから始まるのかもしれない。どの点と点が結ばれて、どんな線が引かれていくのか・・・私じゃないと語れないことはどこにあるのか、やっと素直に向き合うことができそうです。

 

積み重ねて、壊して、再構築し始める・・・奇妙なことに、私自身を取り戻すような、私にとっては「復興」がテーマとなった忘れられない大会でした。おかえり、私。

 

最後に・・・選手、すべての大会関係者、医療従事者、そして、この大会の為に何かを我慢したすべての皆様方・・・パラリンピックもまだありますが、おつかれさまでした。同時に、応援してくれてきた家族・友人・FMBIRD・リスナーの皆様方に感謝の気持ちを込めて。

 

参考文献

最近読み直していて、以前は読み流していたことにハッとすることが多かったです。モヤモヤを抱えている人、何かを変えたいなぁと感じている人のヒントになるかもしれません。

 

「おとなの小論文教室。」 山田ズーニー

 

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映画レビュー「ベイビーティース」 https://erinawataya.com/2021/01/24/babyteeth/ Sun, 24 Jan 2021 13:58:00 +0000 https://erinawataya.com/?p=2117

Rotten Tomatoes支持率94%!難病を抱える16歳の最初で最後の恋を独特な世界観で色鮮やかに描き出し、Variety誌による注目すべき十人の監督にも選ばれたシャノン・マーフィー初の長編作品。主人公ミラ役には「 […]]]>

Rotten Tomatoes支持率94%!難病を抱える16歳の最初で最後の恋を独特な世界観で色鮮やかに描き出し、Variety誌による注目すべき十人の監督にも選ばれたシャノン・マーフィー初の長編作品。主人公ミラ役には「ストーリー・オブ・マイ・ライフ/わたしの若草物語」の三女を演じたエリザ・スカンレン。ベタなお涙頂戴!難病系映画なのかと思いきや・・・?

あらすじ

キャッチコピーは胸が張り裂けるほど愛おしいモーメント・ラブストーリー

 

ミラは難病を抱える16歳の高校生。学校にも心許せる友達もいない。憂鬱な雰囲気をまとう彼女に電車の駅で突然ぶつかってきた不良少年モーゼスと出会い、恋に落ちる。彼女の両親は心配のあまり、二人の関係に猛反対。その理由は、ミラが最後の治療として化学療法を始めることも決まっていたこと、そして、モーゼスが家族に家を追い出され盗みを働いてまでドラッグを売りながら生計を立てていたから。しかし、ミラは怖いもの知らずで、自分を時限爆弾扱いしないモーゼスに益々惹かれていく。娘の幸せそうな姿を見ると、もう少し様子を見てみようと両親はモーゼスを一緒に住まわせることにするのだが・・・

 

感想・見どころ

 

設定はベタな難病系ラブストーリーそのもの。余命いくばくもない少女が恋に落ち、燃えたぎる恋心と思うがままにならない肉体を嘆き、家族や恋人と衝突しながらも、最後は愛する人たちに見守れながら美しく散る・・・概ねこんな感じです。

 

ですが、この作品のユニークな点は・・・まず、二人の恋が成就するまでの過程を描いていないところ。エピソードごとにタイトルがついていて(日記スタイル)、断片的に出会ってからの日々を描いているので、展開が想定外。

 

そして、主人公ミラが全然か弱くない。もちろん、闘病シーンも出てくるし、化学療法で髪の毛が抜け落ちて坊主になってしまうシーンもあるのですが、そこに重きが置かれていない。ドラマチックに描かれていない。寧ろ、彼女はどんどん強くなっているような気がします。それは恋によって生きる意味をみつけ、また自分が死ぬことの意味をも悟ったからなのかもしれません。ベイビーティース(乳歯)が抜けるところで彼女は進化しているのだと思います。

 

また、音楽がとってもお洒落だなあ〜という印象が強いのも予想外のポイントでした。

 

ただ、ミラがモーゼスに惹かれるのは感覚的になんとなく理解できる一方で、逆はどういうところに惹かれたのかしら?仮に最初はお金目的だったとしても、23歳(記憶が曖昧ですが、少なくとも20歳以上)の青年が16歳の女子高生を恋愛対象としてどのタイミングで見るようになったのか、そこの描写がもうちょっとあると、もっとモーメントさ、もとい、エモさが出たのかな、とも感じました。

『ベイビーティース』2月19日より公開!

https://babyteeth.jp/

 

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本レビュー「あやうく一生懸命生きるところだった」 https://erinawataya.com/2021/01/15/book_ha/ Fri, 15 Jan 2021 04:04:24 +0000 https://erinawataya.com/?p=2098

書店で表紙の色に一目惚れして以来、ずっと気になっていた本。読んでいるうちに肩の力が抜けて、じんわり心がほぐれていくような、優しいエッセイでした。イラストがちょっとシュールでつい笑っちゃう。さくっと読めるところも魅力。 作 […]]]>

書店で表紙の色に一目惚れして以来、ずっと気になっていた本。読んでいるうちに肩の力が抜けて、じんわり心がほぐれていくような、優しいエッセイでした。イラストがちょっとシュールでつい笑っちゃう。さくっと読めるところも魅力。

作者について

訳者:岡崎暢子
出版社:ダイヤモンド社
発売日:2020/01/17

表紙の絵も作者のハ・ワンさんが描いているらしい!それにしても、プロフィールが個性的で何回も読んでしまった。最近韓国の女性作家(チョ・ナムジュ著「82年生まれ、キム・ジヨン」など)がかなり注目されているのもあってか、この本も女性作家かと勝手に勘違いしていたのは内緒です(笑)

【文・イラスト】ハ・ワン
イラストレーター、作家。1ウォンでも多く稼ぎたいと、会社勤めとイラストレーターのダブルワークに奔走していたある日、「こんなに一生懸命生きているのに、自分の人生はなんでこうも冴えないんだ」と、やりきれない気持ちが限界に達し、40歳を目前にして何のプランもないまま会社を辞める。こうしてフリーのイラストレーターとなったが、仕事のオファーはなく、さらには絵を描くこと自体それほど好きでもないという決定的な事実に気づく。以降、ごろごろしてはビールを飲むことだけが日課になった。特技は、言い訳つけて仕事を断ること、貯金の食い潰し、昼ビール堪能、などがある。書籍へのイラスト提供や、自作の絵本も1冊あるが、詳細は公表していない。

公式プロフィールより

これは、自分のことなのでは・・・?!

韓国の友人らが勉強はもちろん、ボランティアも、自分磨きも、オシャレもどれひとつ気を抜かずに頑張っている姿を見て、競争原理がこれほどまでに強く働いている社会なのかと衝撃を受けた留学時代。それから数年後、日本住み始めてから感じたのは、東京は隙間時間がどんどん埋まっていく街だなぁということ。ふたつの国は全然違うところもあるけど、似てるところもある、と思う。

何もしないって意外と難しい。

自分が時間を欲しがっていた理由は、何かをしたいからではなく、何もしたくなかったからではないか。p.102

朝活もそうだし、いろんな資格を取ったり、休日も家でゴロゴロしないで綺麗にお化粧をして、お題のスポットへおでかけしたり、ご飯を食べたり・・・いつもいつもではないにせよ、余暇の過ごし方がとってもゴージャス。これはこれで好き。

でも、ベルリンの公園でお弁当を持ってピクニックする時間や、閉まっているお店のショーウィンドーを眺めるだけの時間も大好きだったし、せっかく湖に水着を用意して来てるのに泳がないとか、矛盾してることをする休日もいい。好きなだけ寝て、漫画読んでごろにゃぁ〜と過ごす休日で心が満タンっていうのが必要な時もある。104ページのイラスト、私だー!と超共感しました(笑)(興味のある方はコチラに掲載されてました。)

あ、それ、私です。

僕のような人間は、一つ終わらせて、やっと次が見えてくる、そういうタイプなのだ。p.161

同じことを思った人はきっとたくさんいる。私もあれこれもがいてみないと前に進めないところがあるから、わかったことは、ゆっくり急ぐしかないということ。

マイペースでいいのだ

「みんなより7年若い人生を送っている」と言うこともある。後れを取った分、若い人生。遅れているのは決して悪いことばかりじゃない。必ずしも、みんなとスピードを合わせる必要はない。(…) 人はそれぞれ、その人なりの速度を持っている。自分の速度を捨てて他人と合わせようとするから、つらくなるのだ。p.205

とってもユニークでいいなぁと思った表現。私がラジオパーソナリティーとしてデビューしたのが31歳。つまり10年近く若い人生を送っている計算になる。実際の年齢の割に経験が浅くて落ち込むこともあるし、人一倍努力をしなくてはならないことはあるけど、実質的には社会人3年目だからそんなもんでしょと自分への過剰な期待を健全な意味で取り払えば、前向きになれる。

いつも人の背中ばかり追いかけてるけど、小学校一年生の運動会でスタートの合図が分からず、走り出せなかったくらいだから、そもそも速いわけがない(笑)でも、私の良いところは最後まで走り切るところ。それでいいのだ。

冷たい現実にも温かみを感じさせる言葉

いうなれば、そうでない側の僕らの人生は、”カニ”の代わりにあてがわれた”カニかまぼこ”みたいなものだ。期待していたレベルにはとうてい満たないカニかまぼこを前に、僕らは思い悩む。ある者はカニかまぼこをカニにしようと努力し、またある者は我慢できずカニかまぼこを食べる。またある者は、こんなはずないとカニかまぼこさえも無視してしまう。p.214-215

「理想通りじゃない現状を愛する」と題された一節の文章。人生をカニカマに例えるなんてユニークすぎて気が抜けちゃう。一冊全体に通じることだけど、努力したって報われれるとは限らないとか、やりたいことなんて探したって見つかるものじゃないなんて、厳しくてひんやりした無慈悲な現実の話をしているはずなのに、なぜか、ふふっと笑ってしまう。それがこのエッセイの魔法なのかもしれない。ゆるい、とはまた違うジャンル。そこが良い。

さいごに

独特の世界観に入り込んで、気が付いたら一気に読み終えてしまいました。2時間ちょっとで読めるので、ライトな読書にもおすすめです。決して「あなたは、あなたのままで良いのよ」と甘い言葉で慰めてくれるような本ではありませんが、頑張ってるのになかなか成果が出ないなぁ〜ともやもやしている人には、ちょっとプレッシャーを感じるビジネス本の間に箸休め的な一冊として手に取っても良いかもしれません。自分はすぐには変わらないけど、物事の捉えら方ならちょっとは変えられそうでしょう?逆に絶好調!な人にはあまり刺さらないかも。

また、今まではこの手のエッセイは女性が(意図してかは別にしても女性に向けて)書いたものが主流でしたが、男性著者が書いているので視点が少し違うのも面白かったです。(先述の通り、女性著者だと勝手に思い込んでいたので、なんかしっくりこないなぁと感じたのです。笑)また新しいエッセイ「今日も言い訳しながら生きてます」がもうすぐ出るみたいです。韓国語でも読んでみたいなぁ。

インタビュー記事など

好書好日:あやうく一生懸命生きるところだった」ハワンさんインタビュー 韓国で25万部、東方神起メンバーも読んだ「努力しないススメ

BookBang:韓国で25万部ベストセラー。40歳手前から始める「がんばらない生き方」

デイリー新潮:愛の不時着、梨泰院クラスに続く「韓国ベストセラー」本に見る「日本の小説・漫画・映画」

 

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2021年はどんな年にしよう? https://erinawataya.com/2021/01/14/newyear2021/ Thu, 14 Jan 2021 13:18:35 +0000 https://erinawataya.com/?p=2088

ご挨拶がすっかり遅れてしまいましたが・・・2021年もラジオとドイツ語のお供にどうぞよろしくお願い申し上げます。   Sieh dir diesen Beitrag auf Instagram an &nbsp […]]]>

ご挨拶がすっかり遅れてしまいましたが・・・2021年もラジオとドイツ語のお供にどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

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Ein Beitrag geteilt von Erina Wataya / 綿谷エリナ (@ellina0817)

今年の漢字は「線」

THE SOUND OF HOPE 〜ON THE PLANET SPECIAL〜で武田俊さんと玉川太福さんと共に葉書に書き記したのですが、今まであっちこっちでやってきたこと(点)を繋げたら、もっと面白いんじゃないか?と思ったからです。

もともと勉強したり、物事を覚えたり(暗記含む)するのは好き、というか、苦にはならないのですが、関連性や繋がりを見出すのがそんなに得意ではありません。行きと帰りで景色が違って見えると道に迷ってしまうように、違うものとして認識してしまいます。記憶の引き出しを無限に増やそうとしてしまうところがあるので、一見繋がりはなさそうなことでも、繋げてみて掛け算の練習をしてみるというのがひとつ。

それから、人と人、人とものを繋げる、マッチングするということにもチャレンジしてみたいのです。今までも多少はしてきましたが、なにせ、細かいことをよく覚えているので、その強みを活かせれば、これはもう少し自分なりのメソッドをブラッシュアップして楽しくできるんじゃないかと思っています。

また、「線を描く」って別の言い方をすると「デザインをする」になりますよね。自分の人生をもっともっと自分から取りに行く、自分のやりたいベースを大事にしてみるってことも意識したい。

また「一線を引く」にすると区別をする、優先順位をつけるという意味になります。これもこの見通しの立たない世の中においては必要なことなのだと思います。といっても、私の中のイメージとしては・・・首都高のセンターラインのようなものではなくて、砂浜に流木で描いたような線で・・・寄る波にさらわれてしまうような、そんな儚い線。判断基準がとても短い時間の中でどんどん変化しているのだから、それくらいでいいんじゃないかしら?

先日のオンプラのご縁で手相を占っていただいたのですが、どうやら「〜なるぞ!」と決めて言葉にすると叶いやすい体質だそうです。だから、このブログでも色々宣言してみるとします。と言っても、あんまりガッチガチに自分をがんじがらめにするとしんどくなっちゃうから、朝令暮改だと思われても気にせず、とりあえず宣言してみる。やってみる。なんか違うなと思ったら、あっさり撤回する。これの繰り返しでもいいのかも。

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オンプラ、木梨憲武さんをお迎えするの巻き。 https://erinawataya.com/2020/09/13/kinashinoritake-san/ Sun, 13 Sep 2020 00:00:20 +0000 https://erinawataya.com/?p=2068

先日、毎週水曜日の深夜2時から放送中の「On the Planet」をお聴き頂いている方はすでにご存知の通り、とんねるずの木梨憲武さんをスペシャルサプライズゲストとしてお迎えしました。この”棚からぼた餅(それ以上のもので […]]]>

先日、毎週水曜日の深夜2時から放送中の「On the Planet」をお聴き頂いている方はすでにご存知の通り、とんねるずの木梨憲武さんをスペシャルサプライズゲストとしてお迎えしました。この”棚からぼた餅(それ以上のものですが!!)”がどういう経緯で誕生したのか、ちょっとだけ裏話を。

その日のことがオリコンニュースにもなっていました!(Yahoo!ニュースにも掲載されててビックリ)↓

深夜ラジオで“木梨祭り” TOKYO FMの2番組出演後、山里ラジオに生乱入「ちょっと遊びに来ました」

まず、前提情報として書いておくと・・・秋元康さんプロデュースの前番組「TOKYO SPEAKEASY」と「On the Planet」は同じスタジオから生放送でお届けしています。転換時間は実質3分程度。なので、SPEAKEASYでどんなに盛り上がっても、余韻にひたる暇も与えず、オンプラパーソナリティーは毎回来てくださっている超豪華ゲストの皆さんを追い出すようにスタジオに突入しないといけないんです。

その日も、いつもと同じようにSPEAKEASYスタッフの後ろにぴったりくっついてスタジオに入り、ゲストの指原莉乃さん(透明感があって、とっても華奢で可愛かったです♡コロナじゃなかったら握手してもらいたかった・・・笑)、木梨憲武さん、そして秋元康さんに「追い出すようですみません・・・後番組も生放送だもので・・・」と言いながら、自分の定位置につこうとしたらば・・・

『え、今から?生なの?』
「はい。生放送なんです。だから、こんな風に追い出すようになっちゃって(><)」
『何時まで?一人?』
「2時〜4時です。はい、一人で!」

ゲストの皆様方も一言二言労いの言葉をかけてくださるのですが、こんなにキャッチボールが続くことは初めて。しかも、あのとんねるずの憲武さんですよ!

『じゃぁ、いちゃおうかなぁ〜』
「(にゃんてこった!)本当ですか?!?!?!私は大歓迎です!!!!!!」
『ちょっと待っててね、タバコ吸ったら戻って来るからね』

と言って、お部屋を後にされたんです。奇跡のような展開に脳みそがついていけなくて心臓がドキドキしたまま、オンプラがスタート(笑)私はブースの中にいるのでその後の展開は分からずだったのですが、番組は進行していかなくてはならないので(わーわーわー すごかった〜〜!いやいや、平常心平常心・・・さて、今日のファーストナンバーは・・・ふぅーーーーー。)と深呼吸したタイミングで、憲武さんご登場!!

本 当 に び っ く り し ま し た。

もうね、大感激ですよ。わーわーわーわーわーわー!!!頭の中でラッパが100本くらい鳴っていたと思います(笑)当然、憲武さんは私のことを知る由もないわけですし、それなのに来てくださるなんて!こんなこと、そう滅多にあることではないですよね?

レジェンドを前に何をお話するのが正解なのか、また、我々のコンテンツ(シェリーめぐみさんのNYフューチャーラボや、電話でインドにお話をうかがったり)のこともあるので、現実的な話、どれくらい居てもらえるのだろうか?など、頭の中で算盤をぱちぱちしていた私。

そこは、さすがは日本中を魅了した方です。ごく自然にお話を始めてくださり、私の方が番組のホストなのにインタビューされるという逆転現象が起こったり(笑)ドイツといえばサッカーだよね、と共通項をみつけてくださったり・・・実は土曜日の朝は裏番組(「木梨の会」と「Ready Saturday Go」は真裏なんです)を担当していることがバレてしまったり(笑)そういえば、干支もおんなじ寅でした!

そうそう、「とんねるずのみなさんのおかげでした」をデュッセルドルフで(VHSに録画されたものだけど)本当に観ていたんですよ。今思うと、母が好きな俳優さん・女優さんがゲストで出演する回のものを借りていたようです(笑)

そんなこんな(タイムフリーで是非!)で、20分頃までご一緒させてもらいました。軽やかで、力みがなく、自由で、それでいて優しさに溢れる言葉に感動しながらも、ちゃっかりツーショットまでおねだりして、夢のような一生の思い出レベルの出来事でした。聴いてくださった方も楽しんで頂けたでしょうか・・・?

まだ、これで終わりではなかった・・・!!!!!

9月12日(土)、朝6時から放送中の憲武さんの生放送番組で、今週の出来事として再び”ドイツ生まれの、穏やかエリナさん”(テンション違いすぎてごめんなさいwww)としてお話に登場したそうで、リスナーさんから続々と『#木梨の会 #レディサタ』で報告が届き、気になって仕方がない!!そんなことを私もオンエアでお話した朝でした。こんなこともそう滅多にあることではないですよね。

レディサタは、朝聴いて気持ちの良い音楽と、朝ごはんや朝おやつで繋がっている番組なので、憲武さんの普段の朝ごはんってどんな感じなのか、素直に気になってしまったり。鯵がお好きとのことなので、和食派かなぁ〜・・・ふふふ

興味のある方は、是非radikoでタイムフリーしてみてくださいね♪

憲武さん、ありがとうございました!またご一緒できるように私も精進します。頑張る!!!Man sieht sich ja zweimal im Leben…:)

 

 

 

 

 

 

 

 

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ドイツ”反マスク運動”の背景や問題点をまとめてみた https://erinawataya.com/2020/09/02/anticorona-politik-demo/ Wed, 02 Sep 2020 00:47:21 +0000 http://erinawataya.com/?p=2038

2020年8月29日、首都ベルリンで3万8000人が集まる大規模な反コロナ規制デモ(通称反マスク運動)が行われました。この日に起きたことは、シュタインマイヤー大統領が「許されることではない」とまで発言するほど。ただの反マ […]]]>

2020829日、首都ベルリンで3万8000人が集まる大規模な反コロナ規制デモ(通称反マスク運動)が行われました。この日に起きたことは、シュタインマイヤー大統領が「許されることではない」とまで発言するほど。ただの反マスク運動ではありません。この記事では、このデモが、何がドイツにとって問題で、何が許されてはならないのかをまとめることを目的としています。また、加筆修正も行なっております。

反コロナ規制デモとはそもそもなんぞや?

要約

2020年8月29日、ベルリンで行われた反コロナ規制デモ。推定3万8000人が参加。参加者は老若男女、極左から極右まで幅広く、参加目的もそれぞれ。問題となったのは、極右グループがナチスの象徴としてしばしば使われるドイツ帝国時代の国旗を国会議事堂前で掲げたこと。そして、そんな極右グループが同じデモに参加していても気に留めない参加者の様子に危機感を覚えているメディア。行政も今後の対応について考えをまとめる必要があるとしている。

ハッシュタグ

#b2908

主催者や参加者はどんな人?

今回のデモが少し特殊な点は、多様な背景を持つ人々が同時に参加していたところです。老若男女(家族連れも多かったとか)、左派〜極右派まで様々。思想的には陰謀論者、ネオナチ、そして反ファシズム・アンティファに概ね分類できる。

主催者の中でもっとも規模が大きいのが、シュツットガルトを基盤とした運動団体Querdenken 711(代表:IT起業家ミヒャエル・バルヴェークMichael Ballweg)。2020年発足した団体で、コロナ規制について基本的権利や自由を侵害していると主張し、それらの解除とメルケル政権の辞任を求めています。

私の印象では、彼らのスタイルからしてどちらかというと左寄りの”コロナは風邪”論者だったのですが、調べていくうちにバルヴェーク氏の発言はどちらかというと右寄り・ポピュリストとの繋がりの方が強いことが分かってきました。また支持者も色々。

当日ゲストとして、ロバート・F・ケネディー・ジュニア(ケネディ元大統領の甥、弁護士・環境活動家・著者・反ワクチン派)がQuerdenken 711の舞台に登場し、12分ほどのスピーチをしています。「政府はコロナを利用し、恐怖を煽り、国民を支配しようとしている」「5Gは、監視社会を作るためのものだ」などと主張。その様子(動画)をQuerdenken 711の公式Youtubeチャンネルで見ることができるのですが、登録者数は2020年9月1日時点でなんと6.97万人!

その他、存在感を示したのは極右派グループ(”帝国臣民(Reichsbürger)”を名乗る人やNPD、AfD、Die RechteやDer III. Wegなどの党員・支持者)です。警官隊のバリケードを突破し、国会議事堂の階段を駆け上った挙句、ドイツ帝国時代の国旗を掲げました。この行為こそがシュタインマイヤー大統領に「許されてはならない」と言わせたものです。詳しくは後述します。

この界隈の著名人では、”国民の教師(Volkslehrer)” ニコライ・ネアリングNikolai Nerlingや、極右派陰謀論者に転身したヴィーガン料理家アティラ・ヒルトマンAttila Hildmannも参加していたようです。

また、反ファシズム主義者による対抗デモ(極右派に対抗)も開かれていて、彼らは「あなたたちはナチスやファシストと行進している」と呼びかけました。

目的は?

コロナ規制に伴い、主に移動が制限されていることや、(公共の場における)マスク着用を全国で義務化させた政府を「基本法に反する」と批判し、撤回を求めた、というのが大枠です。Corona-Diktatur(コロナ独裁政権)という言葉もよく見かけます。

基本法が制限されているのは事実です。もっとも、公衆衛生を守るために必要最低限の制限は法が認めています。

例えば、基本法第11条「移動の自由」→感染予防の為、好きなように旅行に行けない。第2条 「人格の自由、人身の自由」→スポーツが趣味なのに、密になるスポーツジムが営業停止にされていた、など。

これらの規制に対してやりすぎだと思う人は、基本法第5条が保証するように自分の意見を述べ、反対する権利があります。シュタインマイヤー大統領もそう言っています。

参考までに:
連邦政治教育センター「Das Coronavirus und die Grundrechte

開催前から懸念されていた?

ベルリン市当局は、デモの開催を規制違反が起きる恐れがあるとして却下しています。

先述のQuerdenken 711が主催した8月1日のデモの様子を前例として引き合いに出し、参加者がおそらく規定の対人距離(1.5メートル)を維持せず、尚且つマスク着用義務も守らないであろう=公衆衛生に影響を及ぼす可能性が高いというのが警察の言い分でした。

その決定について、主催者が基本法第8条「集会の自由」に反するとして異議申し立て。そして、ベルリン行政裁判所は、ベルリン市当局を覆し、主催者がコロナ規制を故意に無視し、公衆衛生を危険にさらすとは断言できないとして、条件を守ればデモ実施を認める判決を言い渡しました。ベルリン警察の判断は政治的だとして認められなかったのです。

何が起こったのか?

ベルリン市当局は3000人動員。緊張感溢れる中、当日を迎え・・・予想は概ね命中。マスクを着用している参加者はほぼゼロ。開始直後からコロナ規制を守れていないという理由でデモ解散を命令することになります。Querdenken 711主導のデモは座り込みなどの抵抗もあったものの暴力などには至らず、総じて”平和的”。彼らとしてもこれだけの人を動員したデモになったので(しかも、大統領までもがこのデモを受けて意思表明しているので)「大成功」と位置付けています。

問題とされているのは、極右グループによるロシア大使館前の暴動と、国会議事堂前の帝国国旗騒動です。

なぜロシア大使館かと言うと、極右的な思想の持ち主の中にプーチン大統領こそが”この独裁的な世の中を救ってくれる”と崇拝している人が一定数いるからです。(同じ理屈でトランプ大統領崇拝者もいます。)twitterで検索すると「プーチン、助けて!」と叫んでいる様子を収めた動画がアップされていました。警察にガラス瓶を投げつけるなどの暴動があり、アティラ・ヒルトマン氏含む200人ほどが逮捕されています。

国会議事堂前で起きた帝国国旗旗騒動が大問題な理由

一部の帝国臣民(Reichsbürger)や、ドイツ国家民主党(NPD)、ドイツのための選択肢(AfD)、右派党(Die Rechte)や第三の道(Der III. Weg)党員・支持者など、極右グループが国会議事堂に押しかけ、警官隊のバリケードを突破し、国会議事堂の階段を駆け上った挙句、ドイツ帝国軍軍旗(Reichskriegsflagge)をはじめとする様々な旗を掲げました。

そもそも国旗はとても政治的なアイテムです。ドイツでは、ナチズムの象徴である鉤十字ハーケンクロイツの使用は固く禁じられていて、もちろん、その当時の国旗は作ってもいけないし、売買も許されていません。代わりに、ナチスが政権を取った1933年〜35年までの2年間使用されたドイツ帝国時代の国旗(Reichsflagge)や、ドイツ帝国軍軍旗を象徴として極右グループは使っています。配色が黒・白・赤と同じなのも特徴で、ドイツ語ではSchwarz-Weiß-Rot(-Flagge)とも言われています。これらは禁止対象ではありませんが、そのメッセージは明らかです。

そのような旗を、戦後ドイツが国を挙げて何よりも優先してきた民主主義の中心的存在である国会議事堂の入り口でなびかせるのは、ドイツで暮らす多くの人にとって、そしてメルケル内閣にとって非常にショッキングです。多くの政治家がSNS上で「あってはならない」と表明しています。ジャーナリストでラジオ局rbbレポーターのオーラフ・ズンダーマイヤー(Olaf Sundermeyer)の言葉を借りるなら「全ての極右的思想を持つ人が待ち望んでいた光景」は、屈辱的とさえ言えると思います。

これは現政府のコロナ政策に対する不満だけを表明しているとは到底考えられません。これが、ただの反マスク運動ではないと言われる理由のひとつです。

シュタインマイヤー大統領のコメント

Reichsflaggen, sogar Reichskriegsflaggen auf den Stufen des frei gewählten deutschen Parlaments, das Herz unserer Demokratie – das ist nicht nur verabscheuungswürdig, sondern angesichts der Geschichte dieses Ortes geradezu unerträglich.

-Bundespräsident Frank-Walter Steinmeier

意訳:国民によって選ばれたドイツ議会の前、我々の民主主義の中心である場所にドイツ帝国旗、ましてやドイツ帝国軍軍旗を掲げることは、この土地の歴史を考えれば軽蔑すべき行為に留まらず、許されることではない。

極左から極右まで「異様な取り合わせ」

新聞社「taz」の見出しにもなっていましたが、今回のデモ参加者の属性は「異様」とも言えるくらいバラバラです。

「感染者がこんなに少ないのにこんなに規制があるのはおかしい!」「イタリアであんなにたくさんの人が”同じ”ウィルスで亡くなっているのに、ドイツではこんなに少ないでしょう?何かがおかしい」「いつまで家族は離れ離れで顔も見られない日々が続くの?」「マスクをつけながら遊んでいる子供達が不憫でならない!」「毎日同じことしか言わない。つまらないし、メディアなんて嘘つきじゃん!」「コロナなんてビル・ゲイツが仕組んだ陰謀だ!」「ドイツ帝国を再び!」などなど幅広い。

最も危惧していることとは?

主義主張が違う、ともすれば相反する(例えば、排他的・極右的な)思想の持ち主が同じデモに参加して、下手すると隣を歩いている・・・?しかも、大して気にしていない・・・?これは極右的思考を助長するのでは・・・?

どのメディアでも問題視しています。だからこそ、対抗デモの参加者は「あなたたちは、ナチスやファシストと行進している」と訴えていたのです。

これは、今までになかった現象だと言われています。思想の自由が認められている以上、排除することは法が許しません。しかし、ドイツが背負っている歴史を鑑みれば極右的思想は到底許容できるものではなく、共通の戦うべき相手だったはず。近くにいたら拒絶反応を起こしてもおかしくない教育を受けてきているはずなのです。世界に類を見ない連邦政治教育センターは反ナチズム・民主化の為にに設立されたものです。が、その考え方に変化が起きているのではないかと懸念されています。

それは、デモ参加者インタビュー(「自分はネオナチじゃないし、関係ない」「一人も見かけていない」)でも見受けられたし、Querdenken 711代表バルヴェークのコメントにも現れており、彼は「国会議事堂で起こったことに関しては、うちは無関係だ」と向き合おうとしていません。

また、バルヴェーク氏に関しては「無関係だ」「極右とは距離を置く」と言っているものの、彼らの目的はメルケル政権打倒にあるので、その為なら極右と結果として結託することも厭わないという趣旨の発言をしています。反ユダヤ主義者との繋がりなども見えてきました。また、極右サイドの”国民の教師”VolkslehrerもQuerdenken 711との繋がりを示唆しています。

極右的思想に代わって政府が共通の敵になってしまうのか?

この現象についてZDFでお馴染みのジャーナリスト、ドゥンヤ・ハヤーリDunja Hayaliは自身のブログでこう語っています。

Was wirklich verstört, ist, dass es den Anständigen bei der Demo erneut völlig egal zu sein schien, mit wem sie da mitlaufen.(…)Die Extremen an den Rändern wissen all das zu nutzen. Sie nutzen die Trägheit und Kritiklosigkeit derer aus, die an ihrer Seite auftreten und suggerieren damit, dass ihre in Teilen staatszersetzende Idee viel mehr Unterstützer hat, als dies tatsächlich der Fall ist. Und die Mitläufer legitimieren diese größenwahnsinnige Haltung.

意訳:本当に理解できないのは、デモ参加者が他の参加者に関心がないことだ。(…)極右的思想の持ち主は、それをどう利用すればいいのかよくわかっている。惰性と考えることを放棄した人に対して、自分たちの考えの方がより多くの人に支持されているように見せかけるのだ。何もしない人は、こうした行為に加担することになる。

Zeit紙も似たような分析をしています。極右グループは他のグループのデモに忍び寄って、志は同じ(=打倒政府)であるかのように見せる戦略を取っていると指摘しています。そうすることによって、彼らは世間に受け入れられる。それが狙いだ、と。

また、シュタインマイヤー大統領は次のように述べています。

Wer auf den Straßen den Schulterschluss mit Rechtsextremisten sucht, aber auch wer nur gleichgültig neben Neonazis, Fremdenfeinden und Antisemiten herläuft, wer sich nicht eindeutig und aktiv abgrenzt, macht sich mit ihnen gemein.

-Bundespräsident Frank-Walter Steinmeier

意訳:極右的思想を持つ人と並んで歩いている人だけでなく、なんの考えもなくネオナチ、排他的思想、反ユダヤ的思想を持つ人の隣を歩く人は、積極的且つ明確に違うと示さなければ同じである。

決して同じ理想を追い求めているわけではなくても、私は違う・関係ないと思っていても、何も言わずに同じ場所にいたら同じとみなされてしまうし、それを知らず知らずのうちに悪用されてしまうことを忘れないで欲しいという意味なのだと思います。

私もこの現象がとてもショックでした。反政府派グループは自分達の影響力を高める為に意図的に動き、支持者を利用しているようにしか思えません。

一人一人の主体性が失われてしまうのではないか?自分の意思で行動していると信じて疑わないマリオネットが生まれて、民主国家を揺るがす事態になるのではないか?自分の思想に近いと思って支持していたら実はそんなことはなく、結果として極右勢力に加担してしまっていたなんてが大いに起こり得ます。これこそがドイツが何よりも恐れていることです。

今後予想される葛藤

後日、SPD幹事長クリングバイル氏は、ARDのインタビューで国会議事堂で起こった帝国旗騒動は「民主主義への攻撃」であり、今後の課題として、どんな基準を満たしていれば許可してよいデモなのかどうか見極めていかなくてはならないと強調しています。

思想の自由・集会の自由が認められている以上、禁止することは民主主義国家としてはできない。がしかし、国民を煽るような言動や、民主主義への冒涜は絶対に許してはいけないし、コロナ規制を守らない人によって集団感染が引き起こされては街が機能しなくなってしまう。国民の生活をなんとしても守らなくてはならない・・・というギリギリのせめぎ合いの中で今後判断を下していかないといけない難しい時代に突入していると思います。

実際、今回のデモもベルリン市当局と行政裁判所によるボタンの掛け違いが発端だったとも言えますし・・・今後の動きにも注目していきたいと思います。

お礼

この記事を公開してから、本当にたくさんの人が読んでくださいました。ありがとうございます。アドバイスをくださった方もいらっしゃり、感謝です。中でもベルリン在住でライター&コーディネーターをしてらっしゃる河内秀子さん(@berlinbau)は、多くの参考記事を送ってくださり、twitter上でもメッセージ上でもディスカッションしました。ありがとうございました!ベルリンやドイツの情報をたくさん発信されているのでぜひチェックしてみてくださいね♪

河内秀子さん:berlinbau.net
twitter: @berlinbau

出典

日本語メディア

Yahoo!ニュース「独・ベルリンで“反マスク運動”3万8000人デモ

毎日新聞「ベルリンで「反マスク」デモ激しさ増す 市は禁止も裁判所が許可

BBC
ドイツで「反コロナ」デモ 新型ウイルス規制などに抗議、300人逮捕
ドイツの新型ウイルス対策抗議デモ、国会議事堂狙った動きに非難

CNN「政府の新型コロナ対応に抗議デモ、警察が中止命令 ドイツ

ドイツ語メディア

ARD
Steinmeier nennt Proteste “unerträglich”
Die Gefahr unterschätzt?

Deutsche Welle
Verbot von Corona-Demo: “Jetzt erst recht”
Richter kippen Verbot von Demonstration gegen Corona-Politik
Gericht erlaubt Demo gegen Corona-Politik
Der Tag vom 29.08.2020」(動画)

Deutschlandradio「Welche Flaggen sind erlaubt, welche verboten?

taz「Absurdes Nebeneinander

rbb「Fast 40.000 Menschen bei Corona-Demos – Sperren am Reichstag durchbrochen

WELT「Querdenken-Initiator distanziert sich von Demonstranten am Reichstag

Zeit「Kein Mindestabstand zu Neonazis

連邦政治教育センター「Das Coronavirus und die Grundrechte

Dunja Hayaliブログ 「#B2908 – (K)EINE NORMALE DEMO?!

おまけ:8月1日のデモに関して

ハヤーリの8月1日のデモレポート(動画)では、彼女が様々なデモ参加者にその理由や不満をインタビューしているのですが・・・こちらも参加者の言い分はバラバラ。レインボーフラッグもあれば、黒・白・赤をなびかせる人もいて、また「自分は超左寄りなんだけど、その旗を出すのやめてくれない?マジで怖いんだけど」と同じデモに参加している人に交渉するシーンも・・・。この時からすでに参加者の幅が極左から極右まで広がっていたことが分かります。

もうひとつ印象的だったのは「メディアは毎日コロナのことばかり放送する。すごく一方的だよね。」「メディアが国民を分断している!」「あなたたちは本当のことを放送していない!」「参加した極右グループはあなた達が連れてきたんでしょ?」というメディアを目の敵にしているような意見が少なからずあったこと。Lügenpresseという言葉が目立ちました。批判的な視点は良いとして、対話にまったく応じないインタビューイーも多く、自分の言論の自由を主張しながらメディア関係者とはいえ相手の言うことに耳を貸さないのも矛盾しているなぁ、など、思うことはたくさんあります。

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